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お父さんと私⑩ お父さんを看取る

旅館からの帰り道、映画を観て行く予定だったが、私は父のことが気がかりで、とても映画どころではなかった。

旅館を出たその足で、父に会いに行った。

実家には東京に住んでいる妹が来ていた。夕方には信州の方にいる弟も帰省するそうだ。

兄弟がいて少し心強い。母が、父が誰かといれるようにと、書斎に誰もいなくなると、「お父さんと一緒にいてあげてちょうだい」と言った。

書斎で寝ている父は、目は空いていたが、もう視点が定まっていないようだった。目には黄疸が出て黄色くなっていた。腕を何やら動かしている。何をしたいのかは、わからないが、しきりに動かしている。

一日会いに来なかっただけで、こんなに状態が変化するなんて。

時々「うっ」と眉をひそめて、苦しそうな顔をする。母を呼ぶと、「多分痛みを感じているのだと思う」と言い、痛み止めの出るボタンを押す。すると父の顔は数分で穏やかなものになった。

緩和ケアとは、すごいものだ。ひどく辛い痛みを瞬時に取ることができる。

「目が黄色くなっているね」と私が母に言うと、「黄疸が出てきてしまったのよね」と母が父の手を握りながら、少し涙目になって言った。

この時私は理解してしまった。ああ、多分、最期なんだ。

妹は仕事があるので、一旦東京に帰らなければいけなかった。またすぐ呼ぶことになるだろうけど、、と、母は言って見送った。

夕方になって弟が帰ってくるまで、私は父と二人で書斎にいた。ずっと動く腕は、何がしたいのだろう?問いかけても答えは返ってこなかった。ただとにかく腕を動かして布団や繋がっている管を放り投げてしまうので、私がそれを丁寧に戻した。

弟が帰ってきた。小さく「ただいま」と言う弟の声を父は聞き取れない。「耳元で大きな声で言って」と私が言うと、弟がはっきりした声で父の耳に向かって「ただいま」と言った。

その瞬間、一瞬、意識が戻った。父は、はっとして声のする方を向いた。弟を確認すると、「お帰り」と声を振り絞って応えた。

その様子に私は涙が出た。お父さんは、ちゃんとわかっている。誰がいるのか、わかっている。

夜になって私は自分のアパートに帰ることになった。帰るね、と言うと、気を付けて、とまた返事が来た。

その晩、私は妙に落ち着いていた。”納得”はしていなかったが、”理解”はしてしまった。それでも私は、自分のアパートに帰ってきた。特に悔いはないが、もう最期だという直観があったのに、なぜ自分は、実家に残らなかったのだろう、と今でも少し不思議である。

寝る時に、遠隔でレイキを送った。良くなるように、送るのではなかった。”お父さんの身体が苦しまないように、痛みを和らげるように”送った。

この晩、母と弟は夜通し父の書斎にいた。弟は一晩ずっと父の足をマッサージしてあげたそうだ。

この晩は、穏やかに進んでいった。

安らかに、穏やかに、きっと痛みもあまり感じず、明け方、父は息をひきとった。


今振り返ると、父は頑張ってくれたのだと思う。家族が最期、自分に会いにくることができる日まで、魂を身体に入れておいてくれたのだ。

全員に会えた次の日、父は穏やかに眠ったのだった。

お父さんと私⑪に続く


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