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「秋の夜長」の本当の意味は? 江戸時代の驚きの時間観念

秋になり、
日暮れが早まって、
段々、
夜が長くなってきました。
虫の声も少しづつ
活気づいてきます。

本を読んだり、
noteをチェックしたり、
日没後の時間の
使い方が、
夏の盛りの頃と
違ってきます。

現代は、電灯が
あって、夜の時間が
楽しめますが、
明治以前は、
電気が普及しておらず、
夜は暗いものでした。
行燈や菜種油、
魚油の灯りも
ありましたが、
ロウソクや油の
値段が高いため、
庶民は、暗くなると、
さっさと
寝てしまったようです。

江戸時代は、
現在とは、時刻の
単位や感覚が、
違います。

現在、
僕達の時間は、
川の流れのように
過去から未来へ
流れている
イメージですが、

江戸時代の人は
反対に、未来から、
過去に、時間が
流れていると
思っていたふしが
あります。

それは、
和時計の文字盤を
見ると分かります。

現代のすべての
西洋時計は、
ご存じの通り、
文字盤が
固定式で、
針が動いています。

一方、当時、
貴重だった和時計は、
針が固定され、
文字盤が回っています。

僕自身、博物館で、
実際に動いている
和時計を見た事が
ありますが、
じっと見つめていると、
未来である、
文字盤の数字が、
現在に向かって
やってくる
不思議な感覚に
なってきます。

西洋時計の場合
文字盤が
固定されているので、
未来に向かって
「現在」(針)が
がどんどん動いて
行きます。
当然、未来を強く
意識する
構造になっていて、
感覚的に
「今」が希薄です。

反対に、和時計は
「今」はここにあって、
確固として
今(針)は、
動きません。
そこへ、
未来(文字盤)が
やってくるので、
より、
かけがえのない
大切な存在として
「今」が、
強く意識されて
いたのではと、
感じます。

現代人は
未来を意識しすぎて
生急ぎ、
常に「心、ここにあらず」
状態に陥っています。
僕たちは、
再び「今ここ」に
立ち戻る必要が
あります。

また、江戸時代の人は、
不定時法といって
現代の、
24時法と違います。

当時は、
日の出から日没までを、
6 等分した一単位を、
「一刻(いっこく)」と
呼んでいました
1日は昼六刻、夜六刻の
計、十二刻になります。

しかし、
ここで問題なのは
夏と冬では、
昼夜の時間が随分
違うのに、一律に
6で割っている事です。

ですから、
季節で一刻の時間が
伸び縮みします。

冬至は、
昼の一刻は75分
夜の一刻は90分
となり、
今で言うと、
夜の2時間が、15分も
伸びるのですから
現代人が感じるより、
随分、夜が長い
実感があったでしょう。

「秋の夜長」
という言葉には、
こんな背景が
あったのです。

ちなみに、これは、
余談中の余談ですが、

以前、TVドラマの
水戸黄門を見ていたら、
うっかり八兵衛が、
黄門様に
「ご隠居、どうも誰かに
四六時中、
見張られているような
気がしますよ」
と言うセリフがあり、
僕は、思わず
笑ってしまった
事がありました。

何がおかしいか
分かりますか?

「四六時中」というのは、
4×6=24
24時間見張られている
と、いう意味です。
江戸時代は、
24時間制ではなく、
1日12刻制です。(笑)

以上、
歴史考証上の
笑い話でした。

僕も、再度、
「ここ今」を
しっかりと再認識して、
秋の夜長を
楽しもうと思います。

読者の皆さんに、
良い事が
雪崩のように
起きますように。

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