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お客様でない時も あなたは神様 宇宙に上下概念はない

上記体験の数日後、
我が家の菩提寺に
お墓参りに伺った時、
お寺の本堂に
寄った時のお話です。

本堂には僕一人で
目の前には背丈ほどの仏像が
置かれています。

普段、僕は、神仏に、
何かを願って祈るという
習慣が無いので、仏前で
きちんとお辞儀をして
「いつも、
ありがとうございます」と
小さい声で言いました。

振り返って、本堂の
階段を降りる時、
突然、僕の頭の中に
お知らせが
落ちてきました。
「それは自分」
「すべてはひとつ」

お知らせは、生活の中で、
シャワーの時、
散歩の時、
目覚めた時など、
時々、前触れ無く、
頭の中に降りてきます。

僕は、その時、
わけが分からず、
靴を履き、砕石が敷かれた
参道の端を歩きながら
意味を考えていました。

そして、駐車した車の中に
乗り込んだ時、
「仏像が自分では」と
いう事に、思いが至りました。

魂が「すべてはひとつ」の
存在から分かれたものなら
自分も、神様もお釈迦様も、
同じ存在。
宇宙に、上下概念は無く
優劣も無い。

人間は、何かに祈る時、
虚空には祈りにくいから、
祈りやすいように、
フィギアである仏像を
作り上げました。

亡くなった人に対しては、
お墓や、仏壇、位牌が
祈る対象の的です。

仏像には魂が宿ると
言いますが、
「すべてはひとつ」の存在に
思考をやりとりするための
グッズにしかすぎず。
仏像自体は、残念ながら
ただの的でしかありません。

仏像は上位存在ではなく、
自分自身が仏像の形をして
そこに立っているのです。

そういえば、神社の
御神体は「鏡」です

以前、夏至の「茅の輪くぐり」
の祭りの時、神社に行って
本殿の格子の隙間から
御神体の丸い鏡を見たら、
覗き込んでいる
自分の姿が映っていた
事を思い出しました。

すべての人間は同じ存在
だとすると、
神様、仏様も、自分の
上位な存在ではなく
「すべてはひとつ」の
エネルギーとして、
結局、同じものなのです。

「神仏」という「上位概念」が
心に生まれると、
自分は、その存在よりも
「下位の劣った存在」と決めなくては
いけません。

僕は、駐車場で
そんな事を感じながら、
運転席に座って、
「そうだったのか」
と小さく、つぶやきました。

僕は、いつも、
悟ったような事を、
偉そうに書いていますが、
降りてきて、感じた事を
素直に書いているだけなので、
あまり、真剣に
信じないで下さいね。

僕の、書斎の机には、
スリランカ人の知人から
お土産でもらった
石の座像が置いてあります。

普段から、
金色のエネルギーを
自らの体から出したいと
願っている僕は、その、
お寺での一件から、
その黒い仏像を、
買ってきた塗料で
ピカピカの金色に
勝手に塗り替えてしまって、
朝、呼吸を整える時間に、
前に置いて、
金色の自分が、仏像の姿で、
そこに座っていると、
イメージしています。

皆さんも神仏に祈る時は
「上位概念にお願いする」
という思いではなく、
自分の願いを明確にして、
「神仏像という形の自分」
に対して祈り、潜在意識に
落とし込む事が、
願望実現の近道だと
感じています。

あなたは、お客様の時だけ
神様ではなく、
実は、僕も、あなたも、
全員が常に、神様仏様
「そのもの」なのです。

読者の皆さんに、
良い事が
雪崩のように
起きますように。

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ヒロ 月島
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