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褒め育ての落とし穴 褒められなくても 自分で考える 自発的な子に育てるには

褒められる事は、
大人でも嬉しいものです。
褒める事は、
円滑な人間関係に、
必須の栄養素です。

当然、子育ても、
同じだと考えて、
僕も、最初の子は、
褒め育てを、
実践しました。

何をしても、褒めて、
褒めて、伸ばしていく、
とにかく褒めて、
ハイハイして、
立ち上がった、
歩き出した。
ゴミを拾えた、食器を
シンクに持って行けた、
凄いね、偉いねと、
育てていました。

小さい時は、それで
良かったのですが、
ある日、ある事に
気が付きました。

褒められると動くけど、
褒められない事はしない。
という問題が起きたのです、

親が見ていない時は、
ごみを拾わない。
テーブルの食器を、
片付けない。
親が見ている時は、
いい子だけど、
見ていないと、
悪い子に変身するのです。

そうです、
親に褒められる事が
子供にとって、
ご褒美になり、
承認欲求を満たす
事になり、それが、
そのまま、
子供の判断の価値基準に
なっていたのです。

次第に、子供は、行動に
対価を求めるように
変わってきました。
コレをしたから、もっと
褒めてくれとせがむように
なったのです。

親が見ていなかったり、
褒めたりしないと、自主的に、
行動を起こさないのです。

これには、参りました。
褒め育てがすべて
善だと思っていたのに。

最初は、
褒め方が足りないと
思って、
さらに褒めるのですが、
症状は悪化の一途でした。

この辺が、ペットの
しつけと違う所です。
相手は、必ず
将来自立していく
一人の人間です。

そこで、考えて、考えて、
考え出したのは、
本人の感情に
訴える作戦です。

たとえば、
ごみを拾ったときに
「偉いね」ではなく、
「今、どんな気持がした?」
と、本人に聞くのです。

「良かったと思った」
「気持ちが良かった」
など、様々な感情が
返ってきます。

テーブルを
拭いてくれた時にも、
本人に、
「今、どんな感じだった?」
と聞きます。すると、
「きれいになって、
気持ちよかった」
「布巾もついでに、
洗おうと思った」
とか、発展する気持ちが
出てきたのです。

悪い事をした時も
叱るのではなく
同じように聞きます。

親が、
一生見ているわけでは
ありませんから、
本人の自発的な衝動で、
動いてもらうしかない
事に気付かされました。

公園で、
遊具を他の子に譲った時も
「どんな気持がした?」
と聞くと
「譲って気持ちよかった」
「いい事をしたと思った」
と答えます。
そんな時は、心から
「それは、良かったね
また、譲ってあげようね」と
答えます。

褒めなくても、
子供は、代償を求めずに
自発的に、
自分の気持ちの
よい方を選択して、
行動をします。

あと、大人でも、
プロや職人さんを、
普通は、褒めませんよね。
大工さんに
「のこぎりの切り方が
お上手ですね」とは
言いません。

せいぜい感嘆詞として、
「お見事!」
くらいです。

学校の先生、
病院の先生、
政治家の先生、
弁護士さんは、
あまり褒めません。
出来て当たり前の
世界だからです。

ですから、
気を付けたいのは、
相手に対しての、
「君にしては、いいね」
「思ったよりも、
いいじゃないか」
という上から目線です。

ちなみに、英語でも、
Very good
は、上から目線の
ニュアンスで、
目下に使う言葉です、

友達に言う時の、
「いいね」は
So goodです。

相手に、尊敬と
敬意を忘れずに、
今まで書いた事に
気を付けながら、
知人、友達、同僚、
noteの仲間など
お互い、
どんどん褒めて
いきましょう。

読者の皆さんにも、
良い事が
雪崩のように
起きますように。

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ヒロ 月島
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