母が亡くなって始めた「親孝行日記」
母が亡くなって3年になります。84歳で早朝に倒れて、そのまま、すーっと亡くなりました。母は、ゴジラのような人で、僕は、小さな頃から、彼女との関係で大変苦しみました。最近、「毒親」とか「ヤングケアラー」という言葉がポピュラーになっていますが、まさに僕はそういう環境にいたのだと思います。
でも、その一方で、暖炉のように心を暖めてくれるような思い出もたくさんあって、それが自分の人生を支えてくれるとも思っています。なので、亡くなった後、記憶を再編成することが大切なのではないか、と思い、母が亡くなった次の日から「親孝行日記」というタイトルをつけたノートを用意しました。そこに記すのは、亡くなった後の手続き、年金やら、銀行やら、保険やら、母が亡くなるまで勤務していた保険会社の手続き等、ある種面倒くさい作業を、親孝行だと思って対応し、それを記すようにしました。そして、父のケアについても記すようにしました。すぐに介護に関する本を買い込み、やるべきことを調べ、市役所や、老人の介護関係を支援する公的機関の包括支援センターにすぐに行き、相談しました。そして、すべてのやりとりを記し、それを親への恩返しとして表現するようにしました。「親孝行日記」をこまめに記しながら、時々ページをめくってやってきたこと、父母について考えたことを振り返り、今の自分との繋げる物語を作っていきました。
そして、昨年、ふと思い立って、亡くなった母の生まれ育った家に一人で行くことにしました。福岡県の久留米から在来線に1時間ほど乗って、小さな駅で降り、そこから、1時間ほどタクシーに乗って、戸籍の住所を頼って訪ねました。数十年前、まだ自分が子供だった頃、一度だけ訪ねたことのある家です。運転手さんが、「この家ですね」と伝えてくれた家屋は、一眼見ただけで母の実家とわかるほど、昔の面影を残していて、どなたかが、住んでいて、築100年以上建っている家屋を丁寧に手入れしているのがよくわかりました。タクシーの運転手さんがいなかったら、その場に座り込んで泣き出したかもしれません。それくらい感動しました。本当に美しい家屋で、今もそこに小さな頃の母が祖父母と住んでいるんじゃないかと思えるくらいでした。そして、ホテルに帰り、この小さな旅を日記に記し、この時、母との葛藤はようやく終了し、すべてがよかったと思えるようになりました。
「親孝行日記」はそれ以来、記すことがめっきり減りました。お気づきの方もいるかもしれませんが、僕はこの日記を通じてフロイトのいう「喪の仕事」をやっていたのだと思います。「親孝行日記」で、人生において、忘れられない経験となりました。
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