“不能进去”と“进不去”

初級レベルの教材に出てくる2種類の可能不可能の表現

初級レベルの教科書には可能不可能を表す表現が2種類出てくることが多いです。

  • 助動詞の“能”を使ったもの

  • 可能補語によるもの

私はたとえ話や自分の若い頃の想い出話も含めて、以下のように説明したりします。

学外者立ち入り×

キャンパス内で本学学生オンリーのイベント=学外者はダメなイベントが開かれます。あなたは会場の入り口で学生証をチェックしています。そこに他大学の学生がやって来ました。そこで一言。
“你不是这个学校的。你不能进去。”
(あなたはこの学校の学生ではないですから、あなたは入れません)
これは物理的に入れないわけではないですよね。ちょっと悪知恵の働く人なら、自分に似た容貌の学生さんの学生証を借りたり…

本人も入れん!

私は若い頃、中国の大学に留学していました。その時のエピソードです。
当時、私は中国語の助動詞の「能」を使った可能不可能の言い方と、可能補語の区別がどうもハッキリわかりませんでした。もちろん教科書で習った知識はありましたが、腑に落ちなかったのです。
ある日、私が留学していた大学に有名な映画監督の謝晋が講演に来ました。私は早くから行って席を確保しました。大教室の席はあっという間に満席になり、教室の壁にはびっしりと学生が並び立ち、立錐の余地もありません。更にはなんと演壇の両脇にも学生が立ち始めたのです。私の前に座っていた中国人の学生が苦笑いしながら言いました。
“人太多了。谢晋也进不去。”
(人が多すぎる。謝晋自身も入れないよ)
この瞬間に“进不去”という可能補語の意味が腑に落ちました。“不能进去”とは異なるということがハッキリとわかったのです。中国語で言えば“体会”したという感じかもしれません。そんなことしようとしたって無理無理無理!というのが可能補語の否定形なのだと。

私の中国語のほとんどは日本で作り上げたものです。ただ、若い頃に中国に留学する機会を得たことはたいへんありがたいことでした。教室で知識として頭に詰め込んだことが、中国語の環境の中で「腑に落ちる」経験ができたことは貴重なことだったのだと今になって思います。