【短編】消灯までの15分
消灯間近、二人の男女が、薄暗い院内のラウンジに置かれたソファに座っている。
コロナの感染対策で、ソファには間隔を開けて座るように促すため、一人が座るスペースごとにバツ印の張り紙が貼られており、誰もいないのだからそんなものは無視をすればいいものを、彼らは律儀に距離を保っていた。
普段であれば、煩わしく思いそうなものであるが、お互いに認識しつつも、病棟が違うために、なかなか関わることがむずかしく、今、初めて言葉を交わす彼らは、その距離に助けられているのかもしれなかった。
「ここの病院、なんだかおかしいですよね。面会はできないのに、院内は自由に歩けるから、誰かに会おうと思えばこうして会うことができるんですもの」
「そうだね。全く不思議だ。けどもしかしたら、病院側はあえて抜け穴を作ってくれているのかも」
「え? 」
「病院側もさ、薄々わかってるんだと思うんだよ。院内にはたくさんの患者が出入りしてるんだから、面会禁止にしたところで何も変わらないということに。けど、建前があるだろ。対策してますよって示さなきゃいけない」
「なんだか学生の頃に戻った気分だわ」
ただ会話をしたいという気持ちから、共通の話題を話したけれど、本当に話したいことではないために、すぐに話は終了し、しばらく沈黙が続く。
男が女の存在を知ったのは、入院初日。手続きを終えて、入院患者が初日に受けるPCR検査の待ち時間だった。にぎやかな声の先を見てみると、採血待ちをしているのだろう女が、診察に来ていた患者と楽しそうに話していた。それからというもの、検査のたびに院内で彼女を探すようになった。女はいつも笑顔を浮かべていて、彼女の周りは、そこが病院であることなど忘れてしまうほど華やいでいた。
女が病室の窓から中庭を観ていた時、男の姿が目に飛び込んできた。
男は、小児病棟のこどもが入院患者の中でも気難しいと有名な患者とトラブルになりそうなところを助けていた。
面倒に巻き込まれるくらいなら、多少後悔しても仕方がないと、見て見ぬ振りをする者が多い中、自ら関わっていくすがたに、少なからず励まされた。
だからだろうか。少し弱音を吐きたくなったのかもしれない。
「明日、手術なんです」
「そう……なんだ」
男は、女が手術を控えていたことは知っていたが、その日が明日だということなど知るはずもない。勇気を出して話しかける選択をした数分前の自分を心の中で褒めてやりたかった。
「先生が、ハイリスクな手術になるだろうっておっしゃるの。そんなに脅さなくたっていいじゃないね」
「手術が終わったら、何がしたい?」
男は、優しい人間だ。女は今、心配や、励ましの言葉を彼女は求めていない。男の問いに、女はホッとした。
「そうね。しばらくは絶食だから、美味しいものをたらふく食べたい。赤坂の福田家さんに行きたいな。キャンティで前菜を少しずつ、全部選んだりもいいかも。それから、退院したらお舞台を観に行きたい。もうDVDは飽きちゃった」
女は、そんな日が来ることは保障されていない身であることはわかっているけれど、弱気になれば、来るはずの明日が来なくなるような気がして、自分に言い聞かせるように強く言った。女は笑っていなかった。
「いいですね、それ。僕も退院したら、君と同じことをしてみたいや」
「あら。それなら、一緒に叶えてくださる? きっと、一人より二人の方が楽しいわ」
そう言った彼女は、男が知る入院生活の中で、心からの笑顔を初めて見せた。
この笑顔を、男は退院後も忘れたことはない。