No Rain, No Rainbow④
「本社に戻る前に、一度会いたい」
という連絡が聖人から来たのは約3週間前。
スケジュールがなかなか合わなくて、
結局、今日になってしまった。
バレンタインだからか、
街ですれ違うのはカップルが多く、
その表情は誰もが幸せそうに見える。
“3年ぶりの再会が、
バレンタインだなんて・・・”と、
複雑な思いを巡らせながら
待ち合わせのお店に行くと、
聖人は可愛らしい女の子と一緒に
テーブルについていた。
私は状況が飲み込めないまま、
とりあえず、席についた。
彼は私のことを
「森宮課長」と彼女に紹介し、
彼女のことを
「婚約者の美咲さん」と私に紹介した。
要は東京への異動を機に
大阪で付き合っていた美咲さんと
結婚する・・・という報告を、
明日から直属の上司となる私に
事前に報告したかったらしい。
想定外な状況に少し圧倒されながら、
2人と当たり障りのない会話を続け、
美咲さんが化粧室に行ったタイミングで
聖人に聞いた。
「どうして、わざわざ?
この話は会社でもよかったんじゃない?!」
「ごめん。でも、
雨璃にはどうしても個人的に
話しておきたかったんだ。」
「・・・にしても、前情報なしで
いきなり婚約者を紹介されても、
普通に反応に困るでしょ?
それでなくても
久々に会うっていうのに。
相変わらず、配慮が足らない。」
つい昔と同じ調子になり、
私は慌てて口を噤んだ。
「ごめん、嫌な言い方した。
とっくの昔に、教育係は卒業したのにね。」
「いや、雨璃の言うことは
いつも正しいから。」
“いつも正しい”という聖人の言葉が
胸に刺さるのは、
私たちの関係が終わった本当の理由が
そこにあるからだ。
私は彼に対して、
いつも“正しいこと”しか言わなかった。
心の中ではたくさんのことを思い、
感じていたのに、
表現することが怖くて、
自分の気待ちよりも“正しさ”を
いつも選んでしまっていた。
性格が素直で真っ直ぐな聖人には
正論ばかりを口にして
心の内を見せない私より、
思っていることがすぐに顔に出てしまう
美咲さんのような女性の方が
間違いなく似合ってる。
「・・・彼女、可愛らしい子だね。」
「うん。基本、しっかりしてるんだけど、
いい感じに子供っぽいところもあってさ。
そのギャップっていうか、
抜けた感じが俺には合うみたい。」
私にはその“抜けた感じ”が、
一切なかった。
私の中には常に何かが
ピンと張り詰めている感覚があって、
彼と一緒の時でさえも気が抜けず、
そんな自分のことが
どんどん嫌になっていった。
私自身がそんな自分に対して
窮屈さや息苦しさを感じていたんだから、
きっと聖人も
同じように感じていたに違いない。
・・・あの頃と違って、
今の聖人からは
自信や余裕が滲み出ていて、
“随分、いい顔をするようになったな”と
素直に思った。
そんな聖人がいきなり姿勢を正し、
私の目を真っ直ぐ見ながら言った。
「今日来てもらったのは、
もう一つ、伝えたいことがあって。」
「うん、何?」
「今の俺があるのは、森宮課長のおかげです。
何も知らなかった俺に色々なことを
それこそ、公私共にゼロから教えてくれた。
その基盤があったから、
ここまで来れたと思っています。
これからは主任としてチームのことも、
課長のことも引っ張っていけるように
努めて参りますので、
よろしくお願いします。」
・・・このとき、思い出したんだ。
彼のこういうところが、
好きだったってことを。
不器用なりにも、
当時の私は彼にちゃんと恋をしていて、
彼もまた、そんな私のことを
彼なりに受け止めてくれていたんだと
感じた瞬間、
これまでずっと彼との間で
中途半端に開けっ放しだった扉が、
パタンと静かに閉じられた気がした。
「そんな風に言ってくれて、
ありがとう。」
それは私の心から
自然と溢れ出た言葉だった。
もうこれ以上話すことはないと思った私は
二人に改めて「おめでとう」と伝え、
店を後にした。
そのまま直帰するつもりだったけど、
なんとなくまだ帰る気になれず、
駅に向かう途中で見つけた
路地裏のワインバーで、
今、2杯目のワインを飲んでいる。
フッと視線を感じて顔を上げると、
ワイングラス片手に
やさぐれた雰囲気を漂わせる女性が
こちらを見ている。
(・・・って、鏡に映る私じゃんっ!)
そんな自分の姿を見て、ハッとした。
(自信と余裕溢れる聖人と、
幸せオーラを放つ美咲さん。
2人と比べて、今の私は・・・
老婆かよっ!?)
私の目に2人の姿が眩しく映ったのは、
2人の中に“愛されてる自信”が
あったからだ。
お互いに対する絶対の信頼と、
真っ直ぐな思い。
そこには不安や迷いが
一ミリも感じられなかった。
それに引き換え、私は間違うことや
傷つくことへの不安や怖れ、
迷いをずっと抱えながら生きてる。
そんな自分が小さい頃から嫌で、
変えたくて、
今日まで一生懸命頑張ってきたのに、
結局、昔の私と何一つ変わってない。
私が今、手にしているものの中で、
“本当に手にしたかったもの”って、
どれだけある?
(なにも・・・なくない??
そもそも私が
“本当に手にしたいもの”って、何??)
これまで見ないようにしてきた思いが、
芋づる式に
どんどん出てきてしまいそうになる。
私、何か大きな勘違いを
している気がする。
でも、今更それを知ったところで
何になるだろう?
「お客様、
ラストオーダーになりますが・・・。」
これ以上飲んでも
悪酔するだけだと思った私は店を出た。
地上へと続く階段を一段昇るごとに、
聞こえてくる雨音が大きくなっていく。
(天気予報じゃ、
夜更けに降り出すって言ってたのに。)
雨の日に生まれたからか、
それとも名前のせいか、
私の人生は晴れの日よりも
雨の日の方が断然多いように感じる。
そして、あの日以来、雨は容赦なく、
私に彼のことを思い出させるようになった。
あれから大分経つのに、
私の右腕には
彼の手の感触が残っていて、
そのせいで
どうしようもない孤独感に
襲われるようになった。
それまでは一人でいることが
全然平気だったし、
一人の時間が
何よりも大切だったのに、
彼の温もりを
全身で感じてしまったあの日以来、
私の中で“一人”は“独り”に姿を変えた。
・・・なんであの日に限って、
スマホの画面を切り忘れたんだろう?
なんであの日に限って、
充電器を持っていなかったんだろう?
彼が書いてくれたIDは
何度検索しても見つからず、
“しょうがない”っていう言葉を
呪文のように繰り返し唱えることで、
忘れようと努めてきた。
でも、雨が降るたびに
今みたいに右腕が疼いて、
彼の優しい笑顔が悲しいくらい鮮明に
脳裏に蘇ってくる。
「二度と会えなくするくらいなら、
あんな風に引き合わせないでよ・・・」
そう呟いた途端、
これまでずっと
感じないように努めてきた孤独感や
流さないようにしてきた涙が
止め処なく溢れてきて、
私はその場にしゃがみ込んだ。
(・・・もう、ヤダ。
もう何も・・・考えたくない。)
咽び泣く声を
雨音が消してくれることを祈りながら、
今だけは込み上げてくる思いに
身を委ねてしまおう・・・とした瞬間、
いきなり突風が吹いて、
通りに置いてあった看板が「バタンっ!」と
大きな音を立てて倒れた。
涙が引っ込んでしまうほど大きな音を
向かいの店の店員さんも耳にしたらしく、
慌てた様子で外に飛び出してきた。
雨に打たれながら
看板を拾い上げる店員さんの背格好が
彼とあまりに似ていて、
私は思わず息を飲んでしまった。
そんな自分に呆れながらも、
看板を店の中に運び入れ、
再び外に出てきた店員さんに目をやると・・・
それは紛れもなく、
白いシャツに
黒いソムリエエプロンをつけた
彼本人だった。
頭の中でアラート音が、
大音量で響き渡る。
心臓が今にも口から
飛び出してしまいそうなくらい
ドキドキして、
今すぐ彼に声をかけなきゃ・・・
と思うのに、身体が動かず、
私はしゃがみ込んだまま、
ただ彼を見つめることしかできなかった。
自分を見つめる視線に気付いたのか、
彼は半信半疑な表情を浮かべながら、
こちらをじっと見つめている。
あれから1ヶ月近く経っているし、
もしかしたら彼は私のことを
覚えていないかもしれない。
そう思ったのも束の間、
私に向かって雨の中を歩いてくる
彼の姿があった。
彼は私の前までくると
私と同じようにその場にしゃがみ、
まるで雨に打たれてずぶ濡れになった
迷い猫の頭をそっと撫でるかのように、
私の頭の上に左手を乗せた。
「アメリ・・・さん?」
私の存在を確かめるかのような
優しいトーンで、
彼は私の名前を囁いた。
“私”を構成する細胞一つ一つに
息を吹き込んでいくかのように、
彼の体温はあの日と同じように
頭頂から全身に向かって広がり、
氷みたいに硬く冷たくなった心をも
温かく包み込んでいく。
“しょうがない” “仕方ない”という言葉で
心の奥の方に追いやってきた想いが、
雪解け水のように
少しずつ溶け出してくる。
ここにはもう
“何をどう言えば、正解なのか?”なんて
頭で考える私はいない。
私はあの時みたいに彼のシャツを掴み、
顔と耳を真っ赤にしながら、
心にある思いをそのまま言葉にして
彼に伝えた。
「・・・会いたかった。
ずっと、会いたかった・・・」
「俺も・・・です。
俺もずっと、会いたかった。」
【To be continued...】
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