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6/17 かつてのカンボジアで実際にあった大虐殺の歴史を、忘れないように語り継ぐための場所 【シェムリアップ】

今日は遺跡観光はお休み。
2日続けて壮大な遺跡群を見てやや食傷気味なのと、数時間ママチャリに乗ったせいでお尻が痛いからだ。

さて、今日はメインの目的地を2つ設定して、シェムリアップの街をのんびりぶらぶら歩いてみることに。

最初の目的地は郵便局。
シェムリアップの後、もう少しカンボジア国内を回ってみたくて、次の行き先にコンポン・トム(Kampong Thom)を選んだ。
アンコール遺跡群よりも古い時代の遺跡が残る州で、シェムリアップから南東150kmのところに位置する。
郵便局に赴いたのは、コンポン・トムまでの移動手段として、郵便局が運営する「郵便バス」というものがあると知ったからだ。

窓口で問い合わせると、バスは午前9時発と午後2時発の2便あるという。
現地でゲストハウスを探すことを考えると、できるだけ早い時刻に到着しておきたかったので午前便を取ろうとしたら、もうすでに満席だという。
午後便は空席があるらしいが、夕方に到着するのは気が進まなかったので、他のバス会社にも問い合わせてみることにした。

昨日の夕方にサンセットスポットへ向かう途中、中規模のバスターミナルを通りがかったことを思い出し、とりあえずそこまで行ってみた。

Lok Lak

その前にローカル食堂で腹ごしらえ。
焼肉定食みたいな感じでとても美味しかった。
日本人の口にも合う料理で、何なら日本の定食屋で出されても違和感のない味だった。

バスターミナルに向かう途中、小規模な市場があってちょっと寄り道。

生鮮食品を扱う市場の中に、貴金属を売るお店が混じっているのが興味深い。

バスターミナルに到着。

Capitol Bus Station

午前9時半発のバスがあったので、7.5ドルでチケットを購入。

次の目的地に向かって散歩を再開。
街の風景を眺めながら1時間ほど歩く。

いくらくらいだろう?
スコールの境目
白い鳩を追いかけ回す普通の鳩
未舗装の路地

1時間ほど歩いて、次の目的地に到着。

普通の仏教寺院なのだが、敷地の一角にある展示で、カンボジアの歴史を語る上で避けては通れない出来事を学ぶことができる。

……と、山門をくぐった瞬間に猛烈なスコールがやって来る。

一緒に雨宿りしたおじさん。
彼の妹か姉が日本人男性と結婚し、日本に住んでいるらしい。

30分ほどで雨脚は弱まり、展示室へ向かう。

ここはキリングフィールド。
かつてのカンボジアで実際にあった大虐殺の歴史を、忘れないように語り継ぐための場所だ。

1975年、原始的な自給自足生活を理想とした原始共産主義を信奉するポル・ポトが政権を握ると、都市の住民は一切の財産や身分を剥奪され、農村に強制移住させられた。
そして、高度な知識や教養はポル・ポトの政策の邪魔になるとされ、知識階級に属していた者は容赦なく殺害されていった。果てには、メガネをかけていたり、時計が読めたりするなど、少しでも学識がありそうな者も粛清の対象となった。
ベトナム軍がポル・ポト政権を追放した1979年までこの大量殺戮は続いたが、この4年間の犠牲者数は病気や餓死を含め、人口の2〜3割にあたる約170万人にも上ると言われている(諸説あり)。

処刑された遺体が投げ込まれた井戸

今からたった45年前の話である。
現在ぼくが宿泊しているゲストハウスの主人は、ニコニコと愛想の良い50代くらいの男性である。
年齢的に、大虐殺を生き延びることができた1人だと言える。
彼の両親や家族は無事だったのだろうか。

帰り道、すれ違う人々の顔をじっくりと見てみた。
50歳以上と見られる人はみな、あの苛烈な時代を無事に生き残った人たちなのだ。
そこでぼくは気づいた。
カンボジアは若者が多い国だと思っていたのだが、それと同時に、あまりにも高齢者が少なすぎる。
もちろん衛生面や医療面などの理由で、日本ほど平均寿命が高くないというのもあるだろうが、やはりあの悲劇の尾を引いているのだろう。

夕方の市民公園




シェムリアップ滞在後も、もう少しカンボジア国内を見て回りたいと思い、地図を眺めて面白そうな場所をピックアップした。

・世界遺産のあるKampong Thom
・河イルカに会えるKratie
・コーヒー豆の名産地Mondulkiri
・少数民族が暮らすRatanakiri

うまいこと全て回れるかは分からないが、1週間ほどかけて堪能したい思う。

今日の出費

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