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7/5 マナリを散策

今夜20時にマナリを出発するデリー行きバスを、昨日のうちにネットで予約していた。
ラダックを旅していた間、バスやシェアタクシーを手配するには自分で直接バス停に行くか、代理店かゲストハウスの人に聞いてみるかしか選択肢がなかった。
ネット予約ができる便利さを感じるとともに、別天地だったラダックから離れてしまったことを実感して寂しくもあった。
ついでに、デリーのホテルもネットで予約しておいた。

マナリとデリーの間には、魅力的な都市がいくつかある。
ダライ・ラマが居住し、チベット亡命政権が置かれているダラムサラ
シク教の総本山「黄金寺院」や印パ国境の閉鎖式で有名なアムリトサル
ル・コルビュジエによって設計され、街全体が世界遺産に登録されている計画都市チャンディーガル
当初は、陸路でラダックからデリーに南下する途中で、これらの都市にも寄り道する予定だった。
しかし、ザンスカールで濃い経験をしてしまった後では、これらの都市への魅力が薄れてしまった。
また、ザンスカールで過ごした短くも濃厚だった1週間を、他の都市の記憶で上書きしたくなかった。
だから、ぼくは一気にデリーまで行くことにした。

早朝のマナリ。白い雲がたなびく。
水と緑の街

何はともあれ、バスが出発する20時まで時間を潰さなくてはならない。
ガイドブックやネットでの情報によると、マナリの町はニュー・マナリとオールド・マナリに分かれているようだ。

一昨日はニュー・マナリに宿泊していたので、オールド・マナリに行ってみることにした。

オールド・マナリは、ヒッピー風の西洋人がたくさんいるエリアだった。
細い路地に、彼らが好きそうなカフェや土産物屋が軒を連ねている。
昨日も書いたが、バンコクやバリのバックパッカー街のような雰囲気だ。

オールド・マナリには、マヌ寺院というヒンドゥー寺院がある。
「マナリ」という街の名前は、インド神話に登場する「マヌ」という神様が由来になっているらしい。
マヌは、世界を滅ぼした大洪水の後に人間の始祖となった神様とされている。
さながら、インド版ノアの方舟である。
そのマヌが大洪水後に瞑想に入った場所にちなんだヒンドゥー寺院であるとのこと。

バックパッカー街を抜け、ローカル色が強くなったところにマヌ寺院はあった。
観光客はほとんどおらず、地元住民の姿がちらほら見られる程度である。
清潔感のある木造建築で、ぼくは静かな本堂の床に座ってしばらく休んだ。

オールド・マナリを散策してみたが、長居するほど面白いものは特にない。
道中の自然を楽しみながら、ニュー・マナリに行く。

ニュー・マナリはインド人観光客でごった返している。
面白いことに、西洋人の姿はあまり見られない。
オールドとニューで棲み分けがなされているようである。

ところで、マナリはインド国内で有名な避暑地であり、先ほどの通りヒッピー風の西洋人が訪れる土地柄もあってか、薬物が横行していると言われている。
実際、ぼくもニュー・マナリの繁華街を歩いているときに、麻薬の売人に声をかけられた。
白昼堂々、繁華街のど真ん中でポケットからドラッグが出て来るとは思わず、驚いた。

カラフルな制服(?)運動会みたい

その後、意味もなく通りを歩いたり、土産物屋を覗いてみたり、カフェで休んだりして、夜が訪れるのを待った。

私営バスターミナル
フロントガラスにヒビが入っている車をよく見かける

翌朝にデリーに到着する夜行バス。
セミスリーパーという座席で、リクライニングをかなり深く倒すことができる。
完全に横にはなれないが、悪くない。

座席の前後の間隔が広いので、その分バスの車体も長い。
普通のバスの1.5倍くらいある。
運転手さん大変だな。


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