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【インド雪山紀行】振り返り②
年末年始、ラダックはザンスカールの小さな集落で1週間ほどホームステイさせてもらった。
信仰を守り、自然と調和して生きる人々の暮らしを垣間見て思ったことを2点、簡潔に書き留めておく。
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生きるために働く
新卒で務めた職場では、朝の6時に家を出て、19時過ぎに家に帰ってくるような生活だった。
月の残業時間は、忙しくない時期で60時間ほど。
これでも私は早く退勤していた方なので、多数の職員がいわゆる過労死ラインの80時間を超えていたと思う。
退勤途中、「明日も朝早いから、早く寝なくちゃ」と考えながら、ふと思った。
生きるために働いているはずなのに、いつの間にか思考が「働くために生きる」に切り替わってしまっている。
これはなんだかおかしい。
それ以降、「生きるために働く」という前提は、常に心の中にとどめておくようにしている。
さて、ザンスカール。
ここでの暮らしは、文字通り「生きるために働く」で成り立っていた。
近くの小川まで生活用水を汲みに行き、ミルクや肉を恵んでくれる家畜の世話をし、暖炉の燃料になるヤクの糞を拾い歩き、食事の度に小麦粉をこねてチャパティを作る。
労働のすべてが自分たちの生活、大げさな言い方をすれば、生命活動の維持に直結していた。
その一方で、こういった暮らしの厳しさもよく理解しているつもりだ。
病気になったり、気候変動の影響を受けたりすれば、その生活はすぐに破綻を迎えてしまう。
凍てつく川での手洗いの洗濯は、想像を絶するほど過酷な労働だ。
必ずしも豊かな蓄えがあるわけではないので、頻繁に旅行に行ったりすることはできない。
生きるために働くシンプルな暮らしを美しいとは思うけれど、自分がそれに耐えられるかは分からない。
彼らの環境や生活に桃源郷を投影しているが、所詮そういった考えは「ないものねだり」なんだろうなと思っている。
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消えゆく伝統
1年半ぶりに再訪したザンスカールだが、道中のアクセスは抜群に向上していた。
そこに住む人々の暮らしは昔から変わらないものであるように見えたが、利便性の向上に従って、これらの生活様式もいずれは変化していくはずだ。
廃れる伝統もあれば、新しく生まれる習慣もあるだろう。
そういった消えゆく伝統に対して、部外者が何か意見を言うのは傲慢だと思っている。自戒の念も込めて。
我々にできるのは、今の暮らしをありのままに記録し、記憶に残しておくことだ。
旅行に行くたびに、私がたくさんの写真とともに毎日旅行記を書き続けているのは、そのような理由による。
何気ない街角を切り取っただけの写真でも、数十年後には貴重なものになっているかもしれない。
翻って、今の日常もそうだ。
我々の生活環境は変化に満ちている。
今の「当たり前」は、数年後の「当たり前」ではなくなっているかもしれない。
どんなに些細なことでも、いろいろな形で記録に残そうとする試みは尊いことだと思う。
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