青い人体レリーフに何を感じているのか?/イヴ・クライン 私の見かた
イヴ・クラインといえば、
自ら開発した「インターナショナル・クライン・ブルー」と呼ばれる
青の顔料一色で作られた《人体レリーフ -PR3》(彫刻の森美術館蔵)が、
印象に残る。
あの青い人体とは、一体何なのか?
真っ青な《人体レリーフ》に私たちは何を感じているのか。
その一つは、下記のようなこともあるかも知れない。
イヴ・クラインは、フランス本国で彼が生きている間は、
抽象表現から発展した偶然性のハプニング、パフォーマンス表現というような反芸術の系譜として、20世紀アメリカが主流だった「ネオ・ダダ」とみなされていた。
だが、第一次大戦の社会的状況に呼応するように誕生したダダやシュルレアリスムの土壌とイヴ・クラインが生きた第二次大戦後の芸術潮流には、大きな違いがあると・・・金沢21世紀美術館の館長・長谷川祐子さんは言う。
20世紀初頭・戦前と戦後の社会状況に呼応した芸術表現や、
その根幹にあるものの、その何が「違う」というのか・・・
「違いとは核、原爆です。人間の力を遥かに超えるものを作り出してしまったことの衝撃は大変なもの」だったと長谷川館長は言う。
1952年に柔道を学ぶために来日したイヴ・クラインは、広島を訪れている。
そして摂氏4000度の放射能熱戦を受けて影が残ったという「人影の石」に、強い衝撃を受けた。
その印象で言えば・・・
真っ青な《人体レリーフ》に、私たちは一体何を感じているのか
クライン・ブルーで代表的な作品、真っ青な《人体レリーフ》は、
明らかに「静止した生命ではないもの」を感じさせる。
「静止した人体」と、反対側にある「動的な生命」は表裏一体であり、
見た瞬間、目の奥で強烈な「静止した人体=死」というインパクトを内包したインスタレーションと言える。
言うならばこれは、
化学兵器による
”抵抗を与える余地のない死と生の瞬間的な逆転”。
それを感じさせてくれるのかも知れないと、安直にも私には思えてくる。
どうだろう、他の人はどんなふうに感じているだろうか。
関西の〈具体〉とイヴ・クラインの同時代発生と共時性
イヴ・クラインが活躍したのは戦後1950年代で、
1962年には34歳の若さで人生を終えている。
1952〜53年に来日し、その後、フランス・パリで、ハプニングやパフォーマンスアートを展開した。イヴ・クラインと日本人美術家との直接的な交流はなかったが、明らかに戦後日本美術の表現への影響や共鳴は与えていると言えるだろう。
全裸のヌードモデルが、青い絵の具を体に塗りつけ、キャンバスに体を押し付ける《人体測定》(1960)や、ギャラリーに何も展示しない空虚展を開催するなど、
関西・芦屋で吉原治良のもと、1954年活動をし始めた「具体美術協会」が
展開した作品群や活動の数々と極めて共振しているところがあり、
いわばそれは、”間接的な影響関係”、”同時発生的「共時性」”と言える。
当時(1954-1972年)の「具体」作家の作品群も併せて展示した今回の展覧会「時を越えるイヴ・クラインの想像力ー不確かさと非物質的なるもの」
(金沢21世紀美術館)。それがよくわかる。
さまざまな色水をビニールに入れ天井から吊るした元永定正《作品(水)》(1956年、2022年再制作)と同時代のクライン初期のカラフルな作品を同空間に展示。同じ時代のイタリアのフォンタナ(いわゆる画面にナイフで切り目)も同空間で展示されている。
吉原治良、白髪一雄、今井祝雄などの「具体」当時の作品群が同時に並ぶ。非物質性、意味からの逸脱、意図なき創造性・・・どう捉えるか、ぜひ自分の眼で確かめていただきたい。