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note を選んだ理由
もともと wordpress.com でブログを細々と更新していたのだけど、とある事情によりそのブログを閉鎖して note に移転してきた。note を選んだ理由としては、wordpress.com でやっているよりは誰かに読んでもらえる機会が増えるのかな、と思ったから。
つまり、note という場所に合わせて記事の見せ方は試行錯誤してはいるけれど、自分のやりたいことそのものを変えるという発想は全くなかった。僕としてはアクセスが増えるのなら、アメブロでもはてなブログでも何でもよかった。ただ note が目に留まったから選んだというだけ。
アクセスを増やしたいというのも、「バズらせたい」というような大げさな野望があったわけではない。僕はずっと、誰にも見られない場所で独り言を呟き続けるようなブログに疑問を感じていた。ひっそりとした辺境のブログは自分の心境を気兼ねなく吐露できるけれど、それはリルケ風に表現するなら「結びつくものを持たず誰もいない部屋で時を刻み続ける時計のよう」で、時に虚しくもあった。
誰かに読まれているという実感を得たかった。そしてその実感がどのような心理的影響を及ぼすのかを知りたかった。そう思ったから僕は note にやってきた。不特定多数の人に僕の写真を見てもらいたいとも思った。
そして今のところ、僕は note を選んで良かったと思っている。なぜなら「読まれているという実感を得る」という目的を達しているから。これはおそらくアメブロやはてなブログでは達成できなかったことじゃないかと思う。(仮に達成できたとしても、note ほど健全な形では成し得なかったような気がする。)
note ではどんな記事がバズるのか、どんな記事が評価され取り上げられるのか、ということに対して完全に無頓着なわけじゃないけれど、僕には余り関係の無い世界だと思っている。どこに行ったって結局僕はこういう男でしかありえないし、そんな自分を変えようという気も無い。会社でいる時の自分と同じだ。周囲の大多数が何を目指し、何をしていようと、それがどれだけ僕の向いている方向から外れていたとしても、僕には関係がないし関心がない。僕は自分に対して嘘をつかず、自分に対して忠実でありさえすればいい。それが僕の標榜する「自由」なのだから。
だから僕はこれからも普通のブログとして note を更新し続けるし、同じようなスタンスで note をマイペースに更新している人たちを「いいな」と思ってスキを押し続けるのだろうと思う。
写真はちょうど一年前、天王洲アイルの TY Harbor で昼から一人ビールを飲んだときのもの。また行きたいな。今度は誰かと一緒に。