僕のポートレート道
今回はキヤノンの写真。ソニー編はこちら。
どこかのブログ記事だったか、誰かのツイートだったか覚えていないけど、「ポートレート写真はカメラマンとモデルの関係性が反映されていないとカタログ写真みたいになる」というような一文を見かけて考えさせられたことがある。その意見は納得する部分もあれば、釈然としない部分もある。
だって、そうはいっても、だよ。こちらからすれば相手は本名すら知らない、お金を払ってほんの短時間雇っているモデルさんに過ぎないわけで。
関係も何も、所詮は「お金を払ってでもモデルさんを撮りたいアマチュアカメラマン」と「お金を貰って撮らせてあげてるモデルさん」、それ以上でもそれ以下でもない間柄ではないだろうか。
そこのところが不思議というか、腑に落ちなかった。要するに撮影を依頼されるレベルのプロカメラマンであれば違うんだろうな、という程度の理解だった。
でも、これは僕だけの一方的な思い込みかもしれないし撮影中には余り感じなかったことなのだけど、今回で三回目となる碧波彩さんの写真を眺めていると、前回、前々回とは少し表情が変わってきているような気がする。ある程度、信頼関係が構築されたから見せてくれた表情なんじゃないか、なんて思ってしまうのは気のせいかな。
向こうからすれば、マンツーマンで拘束されるカメラマンがどんなオッサンなのか分からないわけで。いやらしいポーズを要求してきたら、ハラスメントな言葉を投げかけられたらどうしよう、みたいな心配も普通にあると思う。実際、そういうことも体験しているだろうし。
だから最初は少なからず警戒心があったとしても不思議ではない、というかそれが普通だ。相手に対して警戒心を抱いていれば、それが表情に表れるのもまた当然なわけで。
作られた表情ではなく、自然な表情が見たい、そしてそれを写真に収めたい。これは僕がカメラを始めてから友人を撮るときでも一貫している姿勢で、カメラを向けて「ハイチーズ」みたいな写真よりも、何気無い瞬間を切り取るのが好きだ。
ポーズから表情から光の方向から、すべてカメラマンが指定して絵作りをする、というやり方を否定するわけではなくて、むしろそういうことができる人は僕には無い能力を持っているなと純粋に尊敬する。
でも一方で、被写体が誰であれ、僕はその人の自然な表情が見たいし、それを写真に収めたいと思う。それが僕なりのスタイルなのかな、と今は思っている。
僕はこれまで二つの撮影会に参加しているけれど、実際はもっと沢山の撮影会情報をチェックしている。モデルさんもそれだけ沢山いるのだけど、色んなモデルさんを片っ端から撮影してみたいという欲求はほとんど無い。もしそういう欲求があったのなら、他にもまだ撮っていない、もっと安く撮れるモデルさんは沢山いるのだから、三回も同じ人を撮る理由は無いだろう。
僕はむしろ「この人のことをもっと撮ってみたいな」というモデルさんが、少なくてもいいから見つけられればいいなと思っている。
今週末は YUNA さんを撮ってきます。