錦糸町
僕は牛乳が嫌いだ。そして映画「レオン」が好きだ。
主人公のレオンは牛乳が好きだ。そして僕は「牛乳が好きなレオン」が好きだ。
いきなり何を言い出すのかというと、「自分にとっては苦手な何かを、特定の誰かが好んでいるサマが好き」ということが僕にはある。それは映画の登場人物に限らず、リアルの友人知人にもあてはまる。
僕はヒップホップを聞かないけれど、「ヒップホップ好きな○○さん」のことを「いいなあ」と思ったりする。
僕はマラソンに興味がないけれど、「マラソン好きな××さん」のことを「いいなあ」と思ったりする。
そうしてその「いいなあ」が自分の中で少しずつ膨れ上がり、いつしか自分自身がそれを好きになっていることがあって、というよりもそれを繰り返すことで僕の「いいなあ」は広がり続けているような気がする。
残念ながら「牛乳」も「ヒップホップ」も「マラソン」も今のところは縁が無い。でもいつかそれは変わるかもしれない。
今の自分が受け入れられないものすべては、未来の自分にとっても変わらず受け入れ難いものである。それこそがポリシーである。それこそが揺ぎ無い価値観である。それこそがブレることのない我がアイデンテイテイである。あえて言おう、カスであると。
というように若い頃の僕は石頭の権化であった。でも今の僕は違う。
(単純に感化されやすいオッサンじゃないか、という気もするけど。)
今は口にしただけで「オエー」となってしまうパクチーだけど、懲りずにパクチー関連商品に手を出しては食べ切れず、パクチー好きの会社の子に「残り食べて・・・」と配ったりしている。「苦手なのになんで買っちゃうんですか」とよく笑われる。
パクチー好きの子って本当にパクチーが大好きで、一種の情熱のようなものを感じることがある。そんな情熱を抱くほどの食べ物なのか、羨ましいな、と思ったりする。
それに好きなもの、楽しめるものは、多ければ多いほど人生は豊かになる。今の僕はそう考えている、というだけのことだ。これは割とシンプルでわかりやすい理屈だと思っている。
とまあ、かっこいい感じで総括してみたけど、会社では「食えないパクチー商品無理して買い込む妙なオッサン」くらいの認識なのだろうな。