見出し画像

ゴスペルとわたし

なんて大層なタイトルをつけるほど詳しいわけではないけれど、せっかくの機会なのでゴスペルと僕の接点のようなものを話してみたい。

そもそも僕が好きなのはブルース(それも戦前のアコースティックブルース)であってゴスペルではない。けれど、ある映画を見てから「ブルースとゴスペルの違いってなんだ?」ということが気になり始めた。その映画とはヴィム・ヴェンダース監督の「ソウルオブマン」だ。実在する三人のブルースマンにスポットを当てた映画。Blind WIllie Johnson、Skip James、J.B. Lenoir。

盲目のギタリスト Blind Willie Johnson と言えば、「パリ、テキサス」で Ry Cooder がカバーした「Dark Was The Night」が有名だけど、他にどんな曲があるのかというとこんな感じの曲名が並ぶ。

Trouble Will Soon Be Over
John The Revelator
Let  Your Light Shine On Me
Lord I Just Can't Keep From Crying

ブルースというよりもまるで聖歌のようなタイトルだ。なのに Blind Willie Johnson はブルースの文脈で語られることの方が多い。ほぼ同時代を生きたデルタブルースの父 Charlie Patton (ギターで女を殴ったりしてたリアルベンジー)なんかとはだいぶイメージが違う。

続いて Skip James。映画「ソウルオブマン」の中の再現シーンにこんな場面がある。それまでずっとブルースを演奏していた Skip James が突然ゴスペルを演奏し始めて、オーディエンスが困惑し始める。「一体なんでゴスペルなんか歌うんだ?」とザワつく。このシーンがなぜ僕の印象に強く残っているのかというと、それまで演奏していたブルースとの違いが僕には全く分からなかったから。え?これがゴスペル?ギターの弾き語りでゴスペルなんてあるの?というかさっきまでのブルースと何が違うの?と僕は別の意味で困惑していた。音楽の構造が同じでも歌詞が違えばオーディエンスがざわつくほどにジャンルが違ってしまうのか。

神の音楽と悪魔の音楽。その狭間で揺れ動いたブルースマンたちにスポットを当てたヴィム・ヴェンダースの意図とはなんだったのだろうか。

レイ・チャールズの生涯を描いた名作「レイ」にも興味深いシーンがあった。ゴスペルの曲にラブソングの歌詞を乗せて歌うレイに対し、奥さんが「不謹慎だ」と怒りを露わにする場面。レイは「これが僕にとっては自然なんだ」とサラリとかわす。レイの場合はどちらかというとブルースというよりソウルの文脈で語られることが多いけれど、やはりここにもゴスペルの光と影がある。

ブラックミュージックのルーツへ近づこうとすると、たとえ入り口がブルースであったとしてもゴスペルは避けては通れない音楽なんじゃないか、という気がしてくる。だから僕はあえてゴスペルを意識して避けることはなかった。一回だけだけどゴスペルグループのバックバンドでギターを弾いたこともあるし、会社の部下の子がゴスペルクワイヤに参加していると聞いて何度もライブに足を運んだ。

一方で「ゴスペルやってます」という話を聞いていざ見に行ったらただのアカペラグループだったということもある。「ゴスペル」という音楽は多くの日本人にとって「天使にラブソングを」のイメージ以上でも以下でもないのかもしれない。

でもどうせなら本物のゴスペルを体感したい。そして whosm というグループはその本物の匂いがした。だからどうしても見てみたかった。そして実際、僕の想像以上に素晴らしいパフォーマンスを目の当たりにすることができた。

ブルースもロックもジャズもソウルも好きだけど、ゴスペルも楽しいよ!

いいなと思ったら応援しよう!