渋谷 - 日本酒原価酒蔵
心からの信頼を寄せていた人物からの裏切りを受け、去年の今頃は心が荒みきっていた。
毎日のように写真を撮っていると「去年の今日」の風景を容易にたぐりよせることができる。去年の今日は日本酒を飲み狂っていたようだ。
写真は記憶を鮮明に補完してくれる。
ときどき僕は未来の自分に「記憶の受け渡し」ができるか、というようなことを考える。
たとえば朝、出勤時に見上げた空を目に焼き付ける。そして「帰りもここで夜空を見上げてみよう。そして朝の空を思い出してみよう。」というようなことをぼんやりと考える。
けれど帰る頃には、朝、自分がそんなことを考えていたことすら覚えておらず、まったく別のことを考えながら立ち止まりもせずに通り過ぎていく。
おおげさに言えばそれは朝の自分が思い描いていた自分とは全く別の自分になっているということだ。朝の自分と夜の自分が切り離されている、と感じる。
本当は前世や来世というものがあるのかもしれないな、なんてことを思う。
なんだかとりとめのない文章になってしまった。今日もどこかに写真を撮りに行こう。