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「時間」というイメージ

たとえば人間の気配のない深い深い山奥にも、遠く離れた大西洋の真上にも、或いは母の実家の高知県四万十にも、父の実家の奄美大島にも、地球上のどんな場所においても、もっと言えば宇宙の中に存在する星々にも、僕が過ごしている「今という時間」が等しく同じように流れているのだ、ということを頭の中にイメージすると気が遠くなるような不思議な感覚を覚える。

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しかしながらこの感覚は、たとえば Web で閲覧できるような世界中のライブカメラなどを通じて感じたことは全くない。

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なのになぜか映画の特定のシーンによって不意にもたらされることがある。アンゲロプロス、キアロスタミ、タルコフスキーの映像でそれを体験することが多いような気がする。

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この感覚は他の人も感じるものなのだろうか。他の人と共有できる感覚なのだろうか。

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そのことをもうずっとずっと何年も前から考えていたのだけど、うまく言葉にできないでいた。この投稿でもうまく言語化できているかどうかは自信が無い。WEBで調べるにしても何て言葉で検索をかければよいのか皆目見当もつかない。

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ポートレートを撮り始める前、僕は前述した巨匠たちがもたらすその不思議な感覚を再現できないか模索していた。日本の風景で、しかも自分が撮った写真から、あの感覚を得られないだろうか、と。

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この投稿の写真は、当時、2016年〜2017年にかけて試行錯誤していた中で、自分なりにそこそこいい線行ってるなと感じられたもの。でも何かが足りない。

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この頃はよくオールドレンズを使っていた。RAWじゃなくてJPEGで撮ってる写真も多い。これはこれで今見てみると悪くない気がする。

やっぱり意味不明な投稿になってしまった。

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