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ゴッドファーザー
ずっと敬遠してきた「ゴッドファーザー」を観たのはおよそ2週間前。Amazon Prime で観れるのが 6 月いっぱいまでだったので慌てて観た。
映画ファンならずともタイトルは誰でも知ってるこの名作を避けてきた理由は何かと言うと、アメリカ資本、すなわちハリウッドの映画だから。ハリウッド映画が苦手なのだ。でも近年はハリウッドに対する偏見もだいぶ和らいできている。元から 100% NG というわけでもないし、X-Men とか好きだし。
「ゴッドファーザー」は素直に良い映画だなと思った。特にドン・ヴィトー・コルレオーネの「麻薬にだけは手を出さない」というポリシーがいい。時代の流れや利益を度外視してでも、己の仁義や美学にこだわるところ。美しい生き様だ。
ボロは着てても心は錦。ドン・コルレオーネはボロなんて着ないけど。麻薬で派手に稼いで、その稼いだ金で豪勢に生きるくらいなら今のままでいい、何も変える必要は無い。躊躇無くそう判断できるのは、「ファミリーの血」を何より優先して生きてきたからこそではないだろうか。ドン・コルレオーネの優先順位は揺ぎ無い。
けれど、当人は「何も変えなくていい」と思っていても、時代と環境が変わらないことをを許さない。実際、ドン・コルレオーネが「麻薬に手を出さない」ことにこだわらなければ避けられた闘争も救えた命もあっただろう。けれど、じゃあ「麻薬に手を出さない」というポリシーが本当に間違いだったろうか。僕にはそうは思えない。
これと同じような図式はビジネスの世界にも普通に当てはまる。顧客の利益を無視してでも、自社の利益のために仁義に外れた行為に手を染めるかどうか。僕の周りには躊躇無く手を染める輩が沢山いるし、彼ら自身「それの何がいけないの?」と疑問にすら感じていないだろう。そういう価値観の人間とやり取りするのは時間の無駄だし、僕の方がおかしいということにしておいた方が面倒なことを避けられるので、僕の担当する顧客が不利益を被らない限りにおいては出しゃばった真似はしない。
けれどいつだって「なんて醜悪な連中なのだろう」と思っている。
そんな現実があるからこそ、己の主義に殉じようとするドン・コルレオーネが気高く尊く見える。