セックスは「やり方」ではなく「あり方」

セックスって 「相手とどれだけ信頼関係が築けているのか」が そのまんまあらわになる。

ちまたでは、良いセックスをするための「テクニック」や「やり方」がもてはやされ論じられることが多い。

だけど私は、「テクニック」や「やり方」が悪いから良いセックスができないのではなく、「あり方」がどんなセックスをするか?にそのまんま表れるから、「あり方」の問題だと思う。

いわば セックスは究極のコミュニケーション。

これをして欲しい。
それをしないで欲しい。
もっとこうして欲しい。
気持ちいい。
気持ちよくない。
こうしたい。
こうしたくない。
痛い。
嫌だ。

そういう「ほんとうの気持ち」を相手に言えないから、

「セックスは好きじゃない」
「セックスしたくない」
「あなたとはセックスしたくない」

っていうことにして、問題をすり替えて、自分と向き合うことから目をそらしてる。

セックスをしないで済むように、セックスする雰囲気に行かないように さりげなくも必死にセックスを回避しようとしたり。

しないと相手が不機嫌になるのが怖いから 、したくないのに受け入れる。
相手を不機嫌にさせないために我慢して、自分に大きな苦痛を強いる。

そうやって、自ら被害者になりに行く。

相手のせいにして 「ほんとうの気持ち」を言える信頼関係を築けていないことから 無意識に逃げてる。

相手のセックスが下手だから
相手とセックスの相性が悪いから
セックスが好きじゃないから

「セックス」のせいにして 「ほんとうの気持ち」を言える信頼関係を築けていないことから 無意識に逃げてる。

問題は 「セックス」じゃない。

「どうして相手にほんとうの気持ちが素直に言えないのか?」だよ。

ねぇ、どうして?
どうして言えないんだろう?
あなたの本音を素直に伝える行動を阻んでいるのは、どんな気持ちだろう?

相手とのパートナーシップは、自分とのパートナーシップが反映される。
本音を素直に言えないのは、自分が当たり前に愛されることを信頼できていないから。

セックスがうまく行かないのは、自分とのパートナーシップがぼろぼろな証。

「セックス以外は仲が良くてうまく行っている。」
という人がいる。

んなわけあるか!
(病気などでできない場合は除きます)

セックスには、自分の普段のコミュニケーションの仕方がすべてそのまんま表れる。

日頃から、

見捨てられる不安があって相手に合わせているから
自分の言いたいことを飲み込んで相手の顔色をうかがっているから

相手に合わせようとする
相手を気にして自分が出せない
思いっきり感じることができない

ということが起きるのだ。

セックスが合わないのは相性じゃない。
相手の「テクニック」や「やり方」が悪いわけでもない。

セックスは究極のコミュニケーションなの。

相手にだけ委ねるものではない。
お互いで創り上げていくもの。

2人で素直に欲求や望みを伝え合い、身体を重ねるごとに相性が合っていく身体が合っていくもの。

2人の関係性をどれだけ深く築けているか?が、そのまんま2人のセックスに如実に表れる。

「相手」のせい、「セックス」のせい、にしている限り、ほんとうの意味でのパートナーシップは築けない。

お互いの関係性を芯から見直して、素直に本音を伝えあえる関係性を築けたとき、お互いが芯から満たされるセックスができるようになる。

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