
ヴァイオリンの中を覗くみたいな|デ・キリコ展
神戸市立美術館で開催中の展覧会デ・キリコ展に行ってきた。
正直、デ・キリコについては「へんてこな遠近感の絵を描く20世紀の画家」くらいにしか認識していなかった。
そんなノー知識だった私が、鑑賞後、1日経った今も頭の中がキリコでいっぱいである。
つまり、最高の展覧会であった。
ひとことで言うと「おもろい!!」である。
うむ、興味深い…といったinteresting的な「面白い」というより、もちろん哲学的要素を多分に含んだ(というか絵画そのものが哲学)彼の作品には思考を巡らさせられる瞬間も多くあるが、どうしたって、ちょっと笑っちゃうfunny系の「おもろい」を感じてしまうのだった。
この私の「おもろい」を、彼の特徴的な3つのセクションこどに撮影OKだった作品を紹介しながら、感じたままに書きたい。
①デ・キリコの自画像|画力を駆使した全身全霊、渾身のボケ
まず入場すると、どどん!と飾ってあるのが画家自身の自画像である。

もう、入った瞬間、あまりの筆致の迫力と、でもよく見たら脳がぐらぐらするような絶妙に変なバランスに「…なんやこれ!写実!すご!うま!いや、おもろ!?」と感動と驚きと、意外にも笑いが同時に込み上げてきた。
こんな自画像は見たことがない。
顔はデ・キリコであるが、コスチュームが派手派手の古典オペラっぽいお衣装で、すなわち濃ゆい顔のおっさんが圧倒的ドヤ顔でコスプレしているのである。
なんとなくコントっぽさがあり、ボケ・ツッコミで言うと、完全にボケである。
いや、花壇小さすぎ!馬小さすぎ!服の質感リアルすぎ!足…短ない?
もはや、絵うますぎ!と言うツッコミすら禁じ得ないほどの突き抜けた技術を駆使した渾身のボケである。衣装はローマの歌劇場からわざわざ借りたという抜かりなさ。どんだけ身体張るんや、キリコ。
この絵は当時の画壇で論争を巻き起こし、つまりツッコミの嵐だったというから、キリコのボケはバチバチにキマッていたのである。
ちなみに彼自身の写真と見比べても、そもそもの顔がやけに絵になる造形(常にキメ顔)であり、あまりにも写実的でそれもまた笑ってしまった。
その他にも、かなり技巧的な果物の静物画(これだけだったら普通にすごい芸術作品)の右上に、まるでテレビのワイプのように小さくコスプレ自画像を配置している絵もあり、清々しいまでの自己顕示欲に心を鷲掴みにされたのであった。
②形而上絵画|だだっぴろさと、ヴァイオリンの空洞について
「形而上」という難しい言葉、最初はちんぷんかんぷんだった。
だけど私がなんとなく理解したままに書くと『周りのモノや人が急に意味を持たなくなり、自分がどこにいるのかさえも分からなくなり、世界に自分一人しか居なくなるような感覚』を絵画にしたもので、その感覚は特に秋の夕方、広場にいる時によくやってくるらしい。
(正式な定義はぜひ各々調べて欲しい)
そう聞くと、なんだかわかる気がする。この感覚は、どうやら「寂しい」という心象と結びついているようだ。
デ・キリコの形而上絵画はとにかくだだっぴろい。奥にどこまでもどこまでも無が広がるだだっ広さがある。
街育ちの私はよく考えたら本当にだだっぴろい場所を「見たことがある」かは疑わしい。
だけど、私はその風景を自分の内側の精神世界上で確実に「知っている」。妙な親しみが湧く。
また、デ・キリコの形而上絵画には、下の絵にあるような先っぽがくるんとしたモチーフが繰り返し出てくる。

私はこれを見ていると、ヴァイオリンのf字孔を思い出す。f字孔とは、弦楽器のボディに空いている穴のことである。
大学でオーケストラを始めた時、この弦楽器の穴が気になって仕方なく、ヴァイオリンの友達に「ちょっと見して」と覗かせてもらったことがある。
当然それはどこまでも真っ暗で、ただの空洞。
こんな「無」の中から、人間が弦を弓で弾くと、途端に息をするみたいに音が鳴ることがひたすら不思議だった。
デ・キリコの絵画には、その時感じたような空間の不思議がいっぱい詰まっているように思う。
③マネカン|人間くさく行こうじゃないか
第一次世界大戦あたりから、デ・キリコの絵画にはマネカン(マネキン)という表情が奪われた人型のモチーフが登場する。

展覧会に入った瞬間から彼の作品群を見て受け取っていたのは、血が湧き出るような尋常でない生命力である。それは人間だけではなく、人間以外のものからも溢れ出る。
だから、この「理性的な意識を奪われた人間」を表現したというマネカンからも、逆説的であるが妙な人間臭さを感じてしまう。
むしろ表情がない分、ちょうどよいバランスで、人間の本質が浮き彫りになっているようだ。
このマネカンたちは不穏でありながら、仕草はなんだかおちゃめで愛ららしさもある。
戦争を経験した彼の、ただならぬ人間への眼差しが垣間見れる。
*
こうして、ある画家の回顧展に行くと、一人の人間の中に存在する表現の多様さを感じることができるのが何より楽しい。
今年はキュビズム展やマティス展にも行ったが、また新たに大好きな20世紀の画家に出会えた。
人生も人間も生命も、何も分からない。
分からないままでいいじゃないか。
ツッコミなんか気にせず、全身でボケながら行こうぜ!
そんなパワーをキリコから与えられた最高の展覧会であった。