
ミヒャエル・エンデ『モモ』を声に出して読んでみる
児童文学の金字塔『モモ』のことは昔から知っていたし、愛聴Podcast(EasyProjectやオーディオブックカフェ)であらすじや感想を聞いていたから、なんとなく「時間」という人類の普遍的なテーマや、ひいては現代にも通じる資本主義社会の課題、人間の生き方など多くの命題が描かれていることは知っていた。
12月の初めにこの本を神戸の図書館を見つけ、なんとなく、目読ではなく音読してみよう!と思い立った。
「時間」について考えることは今の自分にとってものすごく大切なことだと思ったし、海外文学の訳書はなぜかなかなか頭に入ってこないことが多く、じっくり理解しながら読む必要があると感じたからである。
当たり前だが、本を音読しようと思うと、時間と場所を確保しなければならない。通勤電車やカフェで声を出すことはできないので、自宅で、しっかり腰を据えて取り組まねばならない。しかも慣れない言い回しや児童文学特有のひらがなと漢字の折混ぜが多く、結構な集中力を必要とする。
そしてなんとこの本は352ページもある。
この挑戦は軽やかにスタートした。序盤はモモやその周囲の友だちたちの日常、子どもたちの遊びや空想に付き合うような愉快な時間が続き、声に出して読むことの楽しさを味わいながら進めた。
だが、その後私はすぐにまた仕事が忙しくなり、出張も増え、東京、大阪、名古屋を行き来する日々が続いた。当然をモモを携行することなど叶わず、まさに時間がなくなり、表紙に『時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』とあるのに、時間泥棒の登場さえ待たずして、あっという間に返却日が訪れてしまった。
先週末、図書館に延長の申請を行った。
購入も考えたが、返却のリミットがないと、「時間がないからまた今度」と、この大切な物語を声に出して読むことを先延ばしにしてしまう気がしたから。
もう何をやっているんだか。
そして今日、あくせくと働きまくったツケがきっちりと返ってきて体調を崩し、思い切って仕事を休むことにした。
本当に何をやっているんだ。
だけど、おかげで『光る君へ』の最終回や『海に眠るダイヤモンド』最新回の録画を観ることができた。
モモの音読も一気に8章まで進めることができた。
まちの理髪師フージー氏がささやかだけど豊かな生活や仕事を時間貯蓄銀行の灰色の男に奪われていくときのやるせなさや、モモが初めて時間貯蓄銀行の男と対峙するときの「話の通じなさ」のリアルさなど、今の時点で語りたいことは山盛りだが、最後まで読み通して改めて振り返りたいと思う。
ああ。久しぶりに「自分の時間」を過ごしている。
自分はこの音読チャレンジを通して何をしたいんだろうと考える。
何かに抗いたいのだろうか。
あくせく働きまくる私は、時間貯蓄銀行の灰色の男たちや、その男たちに時間を奪われていくまちの大人たちと同じくらい愚かでかわいそうに見える。
音読する時間を作りたいけど作れないこの半月の怒涛の日々は、そのままモモの物語の世界で右往左往しているおとなである。
だけど、こうして本や映像を通して大好きな物語に触れている時、ちょっとだけ何かを取り戻せる気になれる。
必死で働いている時間も嫌いではない、というのも本心だけど。いや、そう言い聞かせているだけなのかもしれない。(この自信のもてなさ。それがまた、人生のややこしさ!)
大河ドラマ『光る君へ』では、「物語は人を生かしてくれる、生きる理由になる」ということを力強く示してくれた。
はたしてモモの物語は、これからどうなるのだろうか。続きが気になる。
しっかりと自分の声で、自分に読み聞かせよう。