カンファレンス後、そのまま退院処理。 事前に把握していた入院費の支払い、105990円也。 母「えー⁉︎こんなに⁉︎誰が払うの?」 私「あなたの当座から支払っていただきます。」 母「なんで⁉︎これしかないんだよ!どうやって生活していけっていうの⁉︎」 私「仕方ないでしょ。自分で招いた結果なんだから。ちゃんと薬飲んで、インスリン打ってたら入院せずに済んだのにね。自己責任だね。しょうがないよね。」 母「なんでそんな酷いこと言うの!」 総合受付ロビーでの出来事。 引
2024/08 退院日。 本日の車中のお供は「鬼滅の刃 柱稽古編」を音だけで。 「我々はやり遂げなければならない、頑張るのだ」 悲鳴嶼さん、わたし頑張ります。 予定時間前に現着すると、いつも通りデイルームで待機するようにと命ぜられる。 10分程して病棟の看護師さん登場。 すでにカンファレンス(以降カンファ)の予定時間は過ぎているが…と、思いながら対面する。 「退院の時、病棟の車椅子だとアレなので、外来のを取って来て下さい。」 病棟勤務経験があると、こういった所
退院5日前。 母の入院する病棟から、退院に関わる連絡をいただく。 断端部の皮膚に損傷があるから、完全に治癒するまで、義足は外して生活して欲しい(整形外科医より)。なくてもご自宅で生活できますか? 義足のカップが割れてるから、修理が必要。退院した後、義肢屋さんが来る病院はご存知ですか? 松葉杖や車椅子のレンタルは必要ですか? 云々。 これ、昨日今日の話ではないですよね?時間ありましたよね?もっと前から連絡・調整できましたよね?特に皮膚と義足については、入院日に把握す
仕事を休む算段がついたので、地域医療連携室へ、退院日について連絡。 正式に退院日が決まる。 その日の流れとして、退院前に訪問看護師とのカンファレンスを実施。退院したその足で、訪問診療をしてくださる、開業医さんへ向かう事になった。 これで、ひと段落。 「かけていただいた電話で恐縮ですが…」と、担当の方。 「なんでしょうか?」 「お母さんの現状を見させていただきましたが、あの状態だと、要介護が取れないかもしれません。」 どういうこと? 「訪問医療・看護は医療保険な
2024/08/15 母が入院している病院の、地域医療連携室より着電。 地域医療連携室とは、受診や退院支援など医療的・社会的支援が必要な場面で、患者を支援する役割を担う部署のこと。 思い出す。 私が病院に勤務していた時、そこの室長のYさんは、筆舌に尽くし難いほどの敏腕で、界隈の地域医療に関わる人間で、知らない人はいないほど。 怖いけど、信頼は厚い人。元気にしてるかなぁ。 電話口のスタッフさんから「治療の目処が立ったので、翌週には退院して欲しい。」と言われる。 介
父の認知症が発覚し、一番最初に危機を感じた事。 そう、車です。 ニュースを見ると「高齢者の事故」が、頻繁に報道されている。単独の事故ならまだしも、人様に迷惑をかけてはならぬ。 それが未来ある子どもだったら。 幼いのと、思春期の子を持つ親として、恐怖でしかない。なので、早々に鍵は回収していた。 管理・維持費も考えると、早々に処分したかったのだが、処分に必要な、母の印鑑証明書がないのだ。 どこにも。一度視認しているにも関わらず。 勝手に私物を触ると、認知症患者は怒る
2024/08 中旬。父の介護認定調査「基本調査」当日。 本日の車のお供は、石野卓球。 心地よいグルーヴが、思考と感情を平坦にしてくれる。 道中、なぜか母から着電。 母「まだ退院できないのよー。先生が勝手に延ばすからさぁ。何とか言ってよー。」 私「あのさ、糖尿病が悪化したのは自己責任じゃない?それを治療してもらってるのに、その言い方は何?そもそも薬も飲まず、注射も適当にやってたからでしょう。ふざけた事言うのも大概にしなさいよ。」 車内ひとりなので、遠慮なく。そして
母が入院となり、逆に安心。なんだけど、父を1人にするのは、やはり心配というもの。 「とりあえず生きるためには食べる必要がある」と、姉の手配により、ネットスーパーで食品を購入・配送する事に。 姉よ、ありがとう。気配りといえば長女。 16〜18時着予定なので、仕事中だが隙を見て直前に父へ電話。 私「姉が頼んだ商品が、16時に到着するからね。ちゃんと食べてね。」 父「届くのは16時か。腹空かせて待っとるわ。」 私「商品届いたら、私に電話してよ。」 父「わかった。」
2024/08/05 介護課より着電。 要件は「介護認定調査の日程」について。 ちょうど母の退院日(未定)に合わせられないか、との相談をしようとしていた所。以心伝心。 現状の伝達と、お盆明けの退院日(未定)に認定調査をお願いできないかと問うと、 「1週間生活している場でないと、調査できないんです。だから退院日にご自宅で、となると調査対象ではなくなります。」と、驚きの返答。 確かそんな約束事あったような…すっかり忘れてた。勉強不足。 職員さん、続ける。 「病院で、
2024/08 初旬。病状説明を受けるため病院へ。 予定通り、10時頃に病院に到着。 移築され、綺麗。そして広い。 以前の旧棟は、義祖父が入院していた事があり、私が、看護師を志すことになった病院でもある。面影は何も無いので、感慨深さは多く見積もって、1/4くらい。 感染症対策のため病室へ入れない。デイルームにて、依頼された各種書類記入しつつ待機。 医師は、週末だが外来中。40分ほど待ってくれと。 想定範囲内。 待つ間で、父の様子を見に行かねば、と一度実家へ。
2024/07末 母の通院日。 母の主治医より、母の携帯電話を介して、着電。 例に漏れず、病識のない糖尿病患者である母は、10年程前に、膝から下を失った。我々の言葉で言う「アンプタ」、つまり、治療のために下腿を切断した。 そんな目に遭っても、病識は芽生えすらせず、ゆるやかに悪化していた。まあ、寛解すら期待はしていない、だって母だもの。 挨拶もそこそこに、現病歴の確認に入る医師。 外科医のような早口、神経質そうな口調。糖尿病患者からの評判は悪そうだが、医師として、私
私の頭が発火した後。 姉は、請求書や領収書から、支出を把握しようと家探しし、私は、今後の管理に備えて、印鑑等の確認と把握などに取り掛かる。 姉から呼ばれる。件の、宗教の新聞、その請求書が束で出てきた、と。 よく見てみると、他人の契約書。なのに請求先は父。 他人の分を支払う「贈呈」というシステムの請求書のようだ。 怖い。 この宗教、まあ他の新興宗教の類もそうですが、 「私達は正しいんです。」 「その私達は、貴方の幸せを願っていますよ。」 「願ってるだけではアレなの
2024/07/27 戦友である姉と、タイミングが合ったため、一緒にいろいろ片付けようと申し合わせた日。 と、言っても、姉は健康診断が終わり次第、新幹線で向かう予定。結果が悪くならないか、心配。 向かう道中、思いつく。 今後のことも相談したいし、まだ声だけのお付き合いである、包括支援センターのSさんにご挨拶をしよう。 即行動。ハンズフリーで電話。しかし、担当のSさん、土曜日にてお休み。 思いつきではなく、ちゃんと予定を立てましょう、私。 顔すら見せないのは失礼
認知症外来の再診に向けて準備。私が仕事を休めないので、自力での受診を敢行してみる事にした。何事も挑戦。 まずは、タクシーの手配。 ネットで検索した、介護タクシーもやってる地元のタクシー会社へ連絡。 私「認知症の父なんですが、ひとりを乗せて行って下さい。◯◯病院まで。」 タクシー会社「いいですよー。」 軽快すぎて、逆に不安。 もし、拒否したり暴れるような事があった場合、帰っていただいて良い旨と、その場合は後日、必要経費を御社へ持参する旨をお伝えし、配車予約を終える。
2024/07/15 知らないけど、関係先と分かる市外局番より着電。 今度は何が起きた? この頃は、ずっとこんなマインドです。着信がちょっと恐怖。 「◯◯地域包括支援センターのSと申します。」 はて。 まだ介護認定について、申請や相談はしていないし、施設を探すことすらしていない。父が受診した病院から情報がいったのかな。どちらにしろ、仕事が早い。 勝手に感心しつつ、話を聞くと、意外な返答。 「市の介護課から『介護保険の利用が必要な人がいる』との話を聞きまして、
2024/07/10 本日のドライブのお供は「MAN WITH A MISSION🐺」 アゲていかないと気が滅入る。Raise your flag‼︎ 現着。 父が予定を忘れないよう、前回帰る時、予定表を作成して置いていったが…父は「今日はなんだ?」と。 案のジョウ太郎。ええ、分かってましたとも。 書面に起こして、コンビニでプリントアウトして、目につく場所に貼って、さらにカレンダーにも書きましたが、無駄になるって分かっていましたよ。ちくしょう。 私「今日は病院行