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働きやすさについて考えた話

今日はかなり働きやすかった。

もちろん、今日のメンバー全員ともれなく特別に仲が良いことはないし
1年目の私と経験10年近いベテランが、休憩室で楽しくするような話もない。

それでも、今日は動悸を起こすこともなく、胃が痛くなることもなく、ミスをすることもなく、1日を終えることができた。

そんな一日を振り返って、働きやすさについて考えてみた。

(とは言っても、完全にn番煎じの内容である)

話しかけやすさ

1年目の私にとって、これはかなり大きい。

経験が少ない状態でミスを防ぐためには、報告連絡相談は欠かせない。

そして残念ながら、1年目に限らず若手と呼ばれる年代のスタッフにだけ、極端に話を聞く態度を変えてくるようなベテランスタッフは少なくない。コミュ障かな?と思う。

別に厳しくて構わないし、私の勉強が足りていなければそれを指摘されても仕方ない

ただ、コミュニケーションが仕事の一部である看護師として、というか人として
人の話を聞く時に一瞬も目が合わなかったり、話しかけても睨みつけるような顔をして振り返るのはどうかと思う。それは1年目の私でもわかる

ましてや、それが原因の事故も大いに起きているというのに。

ただ、そうさせてしまうような環境に問題があるのではないかというのもまあ分からないでもない。負の連鎖というやつである。なんとも理不尽なものである。

やりたいことかどうか

先日の記事に書いた父は、毎日仕事から帰ってきては職場の文句を言いながら酒を飲み、ご機嫌になって早々と寝る、という生活をしていた。

それを見ていたので『ああ、仕事って嫌なものだなあ』と子供ながらに思っていた。

それでも、父の場合は仕事に対する信念とか、責任とか、そういうものが有り余る故の『文句』であって

私のように、現状を嘆くばかりの愚痴では無かった。

推測でしかないけれど、仕事は嫌なのかもしれないけど、仕事で扱ってる学問は好きだったんだろうとおもう。

私は今まずそこで躓いてしまった。

仕事は少しくらい嫌でも我慢して行くものだと思っていた。父のように。

だから、恋人が『多少給料安くても、楽しい仕事をしていたい』と話すのを聞いて、甲斐性無いなあなんて思っていた。

だからこそ、それなら、多少苦手だったり、大変だったりしても、勉強になって稼げるところに進もう。

そして今の職場で見事に心と体をこわした。

少しでも私の中に、急性期に対する興味であったり、得意感があればよかったと思うが

残念ながら、いちばん頑張ったはずの急性期実習の成績はいちばん悪かった。

苦手なことを学ぼうとしても、限界がある。
興味がないことを深めようとしても、深めようがない。

仕事と割り切ることができるならそれもいいかもしれない

ただ情けないことに、残念ながら、私にはどうしてもできなかった。

希望して今の部署に入った同期や、認定看護師を目指して部署を決めた同期は、大変なりにも生き生きと仕事をしている。

やっぱり、そこが違いなんだなあと、今ではとても思う。

心と体の余裕

今日は日曜だったので、新規の入院もなく、全体的に落ち着いていた。

なので、一人一人の患者とじっくり向き合うことができた。

いつもは後回しになってしまうリハビリも、少し丁寧にできたし、患者の話を聞く余裕もあった。

まだまだだけれども、これまで散々できてないと叱られてきた『看護』ができている感じがした。


やっぱりこれは人手不足が解消されない限りどうしようもないのだとおもう。

ただ、職場を変えることで、もし少しでも解消できることなのであれば

それは自分の目指す看護師像のために、行動しなければならないと思う。

次の職場が、少しでも働きやすい職場であることを願う他ない。

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