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教科書「を」教える。教科書「で」教える。

夏休みがもうすぐ終わりますね。ちょっと切ない先生方も多いかな(笑)すでに新学期が始まっている地域もあると聞きます。そんな時に、よく話題になる教科書「を」教えるのか、教科書「で」教えるのか、が再燃中。

言い換えれば、「目的なのか手段なのか」ってことですよね。目的になることも必要だけれど、究極は手段なのかな、と思います。

だって、本来は国語算数理科社会を教えるのは、その先にある何かを伝えたいから。漢字を身につけた先には?歴史を知った先には?

その先にある「答えの見えないもの」を伝えることが、教育の本質。だから、目的でなく手段だといえるのです。

「健康」で考えてみると

似たような話で例えると、「健康」も手段か目的か、と意見が分かれるかな、なんて思います。「今、健康ですか?」と問われるとそうじゃない気がしてどきりとする自分もいるし(笑)、大盛ご飯食べながら「不健康だよね~」と言い合う自分もいる。この時は、ある意味理想的な「ゴールとしての健康」を目指しているんですよね。

そして、この「理想的な健康」を目指してみると…毎日運動30分!食生活はバランスを考えて。1日野菜350g、糖分塩分控えめにして、寝る2時間前までに食事を済ませ…なんて生活…って言うけどさ、無理じゃね?(笑)できてる方もいると思うけど、ほんと、意思が弱い僕としては、人生の喜びの1/3ぐらい奪われる感じ。アイス食べたいし、ビールだって飲みたい!

そもそも「健康」って何?

「健康」って当たり前に使ってるけど、絶対上に書いたような生活を誰もが送れるわけじゃない。でさ、「健康」って学校でも色々教わるから、「こうすれば理想的な健康なんだ」「そのためにはこんな生活を…」ってなるとほんと、窮屈。だいたい、一体、「健康」ってそんな果てしなく遠いのか!!!ってもう、投げ出したくなるので、調べてみました。

だけどですね、全員が一律に「これが健康」って定義はないわけです。「肉体的・精神的に健全」とかそこに「社会的にも健全」とか言われるとわけわかんなくなって。そんなものを僕らは日々目指してるのか!と思うと途方に暮れる。打ちのめされて、ちーん!って気分になります(笑)

だけど、そんな僕を勇気づけたのは1986年のオタワ憲章。
「健康とは、日々の暮らしの資源であり、生きるための目的ではない。」ってはっきり言われているんです。つまり、健康になった先に、自分はどう生きたいのかを考える土台なんだよ!ってこと。

要するに、健康になった先に、見えない自分のビジョンを目指すんだ!自分の未来を創っていくんだよ!と言われているんですね。

目的なのか、手段なのか

最初に書いた「教科書「を」教える、教科書「で」教える」の違いと同じ構造だな、と思ったんですね。「教科書「を」教える」ということは、「健康とはこうだ!」と教えることで、「教科書「で」教える」ということは、「健康になった先にどう生きたいの?」と教えること。

だから、僕は、教科書を手段として、見えない子ども達の未来を創る!というつもりで教えています。もちろん、病気になったときは「健康な生活」が目的になるように、教科書の内容を理解できるようにすることが必要なこともある。だけど、「教科書「を」教える」ことにばかり、囚われすぎず、常に先を見ていよう、という意識を持ち続けています。

「教科書「を」」教える目的にすることも大事。だけど、教育の本質は「教科書「で」」未来をともに創ること。そんな自分の原点を思い返した夏休みでした。さ、始まるぞ!!

それでも、気持ちがしんどくなって「心の健康」を取り戻したいときに


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