大学サッカーと高校サッカーの違いを考える
コロナウイルスでチームの活動休止が続く中、これからチームとしてどうしていくべきかなのか。今自分たちにできることは何なのか。自分はサッカー部という組織の一員として、最高学年として、1人のリーダーとして何ができるのか、何を問われているのか。
一度に多くの問いが押し寄せてきている気がする。
そして、このタイミングで改めて自分や自分たちを見つめ直すきっかけをもらった中で、ふと考えたことがある。
「大学サッカーを4年間することに何の意味があるのか、どんな価値があるのか?」
正直今まであまり考えたことがなかったし、考えようとしただけで頭が痛くなりそうな問いだと思う。
しかし今、チームの活動が休止し、サッカーができない状況が1が月以上続いている。
この状況がいつまで続くのかは誰にもわからないが、もしかすると今年は公式戦やリーグ戦がなくなれば、「日本一」という目標に対して挑戦することすらできなくなるかもしれない。
そうなれば、チームがバラバラになってしまうかもしれない。
そんな中この問いを通して、サッカー部の一員として、最高学年として、1人のリーダーとして、改めて”自分たちの組織としての存在意義や大学サッカーにかける4年間の価値”を、自分なり、自分たちなりに見出すこと、向き合うことが今必要だと思ったため、考えてみる。
そしてこの問いと向き合うにあたって、まず高校までのサッカーと大学サッカーの違いについて考えてみる。
◎大学サッカーの持つ”難しさ”
結論から言うと、高校サッカーと大学サッカーの違いは”圧倒的難しさ”にあると思っている。
どんな難しさかと言うと、「組織として一つになって目的や意義に向かって進む難しさ」だ。
高校までのサッカーは、言ってしまえば、夢や目の前の目標を追っていればよかった。
多くの選手が「プロサッカー選手」という夢を持ち、「日本一」や「県優勝」などの目標を、怖い指導者に鼓舞されながら(指導者主体で)、目指していればよかった。
だから個人としてもチームとしても”明確な、そこに意味なんて必要のない目標"があったが故に、組織に自然と生まれる結束力が存在した。だから何となく、深く考えずとも、自分の願望や目標を追っているだけで組織として一つになる感覚や一体感が生まれたのだと思う。
しかし大学では、ほとんどの選手が夢を持てなくなる。
プロを目指すことや日本一を目指すこと、「何となくサークルは嫌で、やっぱり体育会で本気でやりたい」など、最初は皆明確な意思や目標を持って大学サッカーという世界に足を踏み入れるが、8割・9割ほとんどの選手がレベルの高校よりもぐんとレベルの上がった大学サッカー界を前に夢を失うことになる。
そして気がつけば、4年間の中で多くの選手が、自分が何のためにサッカーをしているのかがわからなくなるのだと思う。もしくはそこに気づかずにただ何となくプレーしてしまう選手がほとんどかもしれない。(自分もそうだった)
個人として4年間をかけて大学サッカーをする意義や目的が見出せなければ、もちろん"組織として何のために活動するのか"、"自分たちは何者なのか"など、掲げられていたとしても、そこに本当に価値を感じられるはずがない。
となれば、高校までのように目的や意義などを気にすることなく、ただがむしゃらに夢や目標を追っていれば生まれた「組織に自然と生まれていた結束力」は生まれなくなる。もしくはかなり生まれにくい状態になる。
だからこそ、自分たちが何のためにわざわざ大学の4年間という時間をサッカーに使うのか?
自分はなぜ大学サッカーにかける4年間から何を得たいのか、その”意義や目的”が必要になる思う。
そしてこの時に現れるもう一つの難しさは、「正解がない」ということ。
高校まではある意味で模範解答のような「プロ」や「日本一」という"目標"があればよかったが、大学では多くの選手が夢を持てなくなり、そういった選手が組織に多く存在するようになるからこそ、
この正解がないという事実に対して、”自分や自分たちなりの正解や答えを見出す・創る”必要がある。
正直ここが1番難しい部分だと思う。
それも、人数が多くなればなるほど(関大サッカー部だと200人ほど)、個々様々な考えや価値観が存在し、より組織として1つになって目的や意義に向かって進む難しさは増す。
この「自分たちが意義や目的を見出す、創り出す必要がある」ということと、かつそこには「用意された正解がない」というこの2つが、自分の考える高校サッカーまでのサッカーと大学サッカーの大きな違いと難しさであり、大学サッカーの持つ深さなんじゃないかと思う。
これらの膨大すぎる問いに対して、自分一人で立ち向かうのはあまりに無謀な気もするので、みんなともこんな話がしたいなと思う。