蘇るサバ缶
2011年3月11日14時46分、そのとき何をしていたかは人によってさまざまですが、大切なのは、その後何をしてきたかにあります。能登半島での巨大地震のニュースが途切れない昨日、一冊の新刊を手にしながら、私もその月日を振り返りました。
一冊とは、須田泰成さんの『蘇るサバ缶』。副題には「震災と希望と人情商店街」とあります。
東日本大震災による津波は、東北地方の沿岸のまち、人、会社などあらゆるものに甚大な被害をもたらしました。宮城県石巻市の海沿いで60年の歴史を持つ缶詰製造会社、木の屋石巻水産もその一つで、缶詰工場は壊滅。その跡に残ったのは、油混じりの泥にまみれた缶詰だけでした。
しかし、本書副題にあるように、そこから「希望」が始まります。いえ、そこに手と心を差し出した人々によって希望へと育てられたと言ったほうがいいでしょう。
掘り出された缶詰は、震災前からつながりのあった東京 ・世田谷、経堂へと運ばれ、商店街の人たちによってきれいに磨き上げられ、1缶300円で販売されたのです。
商店街で個人店を営む商人たちと被災地の缶詰工場の人たちの結び付けたのが須田さんでした。テレビ、ラジオ、出版などでフリーランスのライター業を生業としつつ、小田急線経堂駅前でイベント酒場「さばのゆ」を営む須田さんは人情あふれる人たちが暮らし商う経堂のまちに惚れ、このまちの個人店を応援する活動をしてきた人物です。
あるとき出合った木の屋のサバ缶のおいしさに感動、消費増税、売上低迷に悩む経堂界わいの飲食店にサバ缶によるまちおこしに取り組みます。そうした須田さんの熱意に応えた個人店の店主たちの努力が実を結び、経堂は十数店舗の店がサバ缶メニューを食べさせてくれる「サバ缶の街」として知られ、にぎわいを取り戻しつつありました。
そんな矢先に起こったのが東日本大震災でした。「もう、木の屋のサバ缶を使ったメニューが食べられないかもしれない……」と多くの人たちがそう感じたのは当然かもしれません。本書は、そこから多くの人たちの善意と行動が未来への希望をつくりだしていったドキュメンタリーです。
須田さんの呼びかけに立ち上がった経堂のまちの商人たち、工場再建を目指して一致団結した木の屋社員の方々、そして缶詰洗浄に汗を流したボランティアの皆さんそれぞれの努力によって、三陸の海の幸が詰まった缶詰はいつしか「希望の缶詰」と呼ばれるようになりました。たくさんの人をつなぎ、22万缶もが掘り出され、洗われ、販売され、その売上げが工場を再建する言動力となったのです。
本書の最後で須田さんは振り返ります。「どうして私たちは、あんなに熱くなって、泥まみれの缶詰を掘って洗って、希望、希望と言い続けたのか?」と。
再建された工場を何度目かに訪れ、工場勤務の女性たちが真剣に働き、休憩時間には楽しく語らう様子に出合ったとき、須田さんはその理由を見つけたそうです。彼女たちの幸せな日常の光景、これこそが希望そのものだと。
どんなに苦しく厳しい試練に出合おうと、涙をぬぐい、顔を上げて生きていくこと、そこに人の営みの本質があり、それこそが希望だということ。そんな私たち誰もがやっている営みの中にこそ希望があることを本書は教えてくれます。
その須田さんが昨年12月27日、突然帰らぬ人となりました。いつか、じっくりとお話をお聞きしたいと思いながら、行動を起こさなかった自分自身を悔やまざるを得ませんでした。
そして、災害は繰り返されます。そこには時間がかかっても、また当たり前の日常戻ってくるでしょう。その当たり前こそが希望であり、多くの人たちの努力の上に成立している奇跡なのです。