おもいやりがすべてです あたたかい販売も うつくしい利益も すべてその中にある
昔、ある男が地獄と極楽の見学に出かけたときこと。
まず地獄に行くとちょうど夕食時で、罪人たちが食卓に向かい合って座っていました。
豪華な料理が山盛りに並んでいるのに、なぜか罪人たちは皆痩せこけています。
彼らは1mもある長い箸を使ってご馳走を口に運びますが、うまく食べられません。
怒り出す者や隣の人がつまんだ料理を奪おうとする者もおり、まさに地獄の有り様です。
次に男が極楽に向かうとやはり夕食時で、食卓には山海の珍味が並んでいます。
極楽の人は皆ふくよかで肌も艶やかで、同じように1mの箸を持っています。
違うのは、長い箸で挟んだご馳走を向かい側の人に食べさせていること。
「ありがとう」とほほ笑んだ相手は、同じように向かいの人に食べさせていたのです。
心の持ちようだけで地獄にも極楽にもなることを教える「三尺三寸箸」という法話です。
さて、商いというものは売上と利益がなければ成り立ちません。
しかし、それを目的としてしまったとき、私たちは地獄の罪人へと堕ちます。
目の前の人、つまりお客様の幸福を第一とするおもいやりを発揮したとき、その見返りとして私たちは極楽の住人となれるのです。
【今日の商う言葉】
おもいやりがすべてです
あたたかい販売も
うつくしい利益も
すべてその中にある