イオンを創った女
「正札販売」とは、同じ商品であれば誰に対しても同じ価格を貫く商法のこと。今では当たり前ですが、かつて価格は相手によって異なるものでした。それを革新したのは伊勢松坂の商人、三井高利。1693年、江戸で越後屋を開業したときの「現銀掛け値なし」によってでした。
時代は下がって終戦後、国土の大半が焼け野原となったときのこと。商道徳も打ち捨てられ、多くの商人が客の足もとを見て値段を決めていましたが、三重県四日市の姉弟が商う店は違っていました。
ある日、姉が店番をしていると、母親と小さな子どもづれの客がやってきました。その親子は、弁当箱の売場の前でずっと何か迷っているようです。すると母親がレジに来て、「ありあわせのお金が足りないので、まけてもらえないでしょうか」と言ったのです。
聞いてみると、親子はその店から相当遠いところから歩いて来ていて、「お金を取りに戻るのはとてもじゃない。明日はこの子の遠足なので、弁当箱がとうしても欲しい」とのこと。
それに対して姉は「申し訳ありませんが、うちはまけることはできません」ときっぱりと断りました。親子は恨めしそうな顔をしてとぼとぼと夕暮れの中を帰っていきました。すると姉は後を追いかけて、懐から財布を出して言います。
「値段はまけることはできませんが、これは私が個人でお貸しします。今度来られたときにいつでもお返しくださればけっこうです。これを足してお買いになってください」
いかなるお客様に対しても公正で公平な商売をするという原理原則を、この商人は曲げることはありませんでした。しかし、人としての情は別のものです。情と理を並び立たせるには、原則を守る厳格さが必要なのです。これが姉の商いでした。
姉とは小嶋千鶴子。弟、岡田卓也とともに灰燼に帰した岡田屋を再興。イオンの基礎を築いた商人の物語は東海友和さんの『イオンを創った女』をお奨めします。そして、この姉弟もまた『店は客のためにあり店員とともに栄え店主とともに滅びる』の主人公、倉本長治の愛弟子です。その物語については、こちらの記事をお読みください。