ギャンブル依存症の分かち合い(テーマ:希望)
数日前に40歳の誕生日を迎えた。
節目の誕生日というものは、印象深いもので20歳、30歳の誕生日に何をしていたか、はっきりと覚えているものだ。
20歳の頃は、ちょうど関西で一人暮らしを始めたばかりの時期で、ひとり誕生日を祝った。大学生にしてはちょっと奮発をし、980円のステーキ肉を買って、焼いて食べた。肉に下味をつけることも知らなかったためか、あまり美味しくなく、こんなものかと思った記憶がある。
具体的な夢をもった青年ではなかったが、まだギャンブルにも出会っておらず、きっと普通にサラーリマンになって、結婚して、子供を持つのだろうな、と漠然とした希望を持っていた。だが、その2年後にギャンブルに出会ってしまう。
30歳になる頃には、立派な多重債務者だった。仕事も忙しく、職場で誕生日になる瞬間を迎えた。結婚適齢期ということもあり、他人からはまともな人間に見えていたのだろう、様々な方から「紹介したい女性がいるのだけど」と声をかけていただいた。しかし、私は「ありがたいけれど結構です」と断り続けていた。
彼女を作り、深く関わることで、借金まみれであること、ギャンブルに狂っていること、を知られてしまうことが恐ろしかったのだ。一生結婚できないし、ギャンブル辞められないだろうと思っていた。希望なんてなかった。
しかし、人生は予測不能だ。32歳のときに、今の彼女に出会い、籍こそ入れてないものの、一緒に暮らし始めて8年になる。そして38歳でGA(ギャンブラーズ・アノニマス)につながり、幸いにも2年近くギャンブルが止まっている。こうして、40歳の誕生日は、再び希望を持った状態で、迎えることができた。
40代も何があるか予測不能だ。できることならば、今持っている自分の希望を叶えるとともに、他の人に希望を与えられる存在になれれば、と思う。あれだけギャンブルが止まらなかった自分でも、ギャンブルを止めることができたのだから。