人の話を聞くのは大切ですね
30代後半のいい歳のおっさんとなり、人から相談を受ける機会も増えた。
その度に「気の利いたアドバイスを言わなきゃなぁ」と考え込んでしまう、へっぽこである。
本日は、同じような経験のある同志に「アドバイスは不要、聞くだけで良いんだ」と思える(いや、思いたい)エピソードを捧ぐ。
<注意>
この後、急に話が重くなりますが、最後は救われると思いますので、ぜひ滅入らずに最後までお読みください。
* * *
私が社会人2年目のとき、父親が脳幹出血で倒れた。父はひとりで生活していた為、3日間も誰にも気づかれず、たまたま訪ねてきた親戚に発見された。比喩じゃなく、息絶え絶えの相当やばい状態だった。
担当医に「覚悟してください」と言われた。もちろんショックではあったのだけれども、それ以上に堪えたのはお金のこと。数日分の入院費「13万円」、これまた比喩じゃなく、目の前が真っ暗になった。
その日の帰り道、病院からタクシーに乗り込んで「成田駅までお願いします。近い距離ですいません。」と伝えた。タクシーの運転手さんは、不機嫌そうな声で「近くても乗せなきゃならないんだろ。」と言い放った。
なんて日だ!!
その後、仕事が終わっては、都内の職場から成田の病院まで片道2時間弱かけて通う日々が続いた。
そんなある日、また病院からタクシーに乗る機会があった。その日も私は「成田駅までお願いします。近い距離ですいません。」と伝えた。
その日の運転手さんはこう言った。「いえいえ、仕事ですから。近い距離でも関係ないですよ。」私は少しホッとしたけれど、頭の中は入院費の心配やら、転院先の調整のことやらで一杯だった。
車内はしばらく沈黙が続いていたと記憶しているが、ふと運転手さんが口を開いた。「こんな遅い時間に病院から駅までということは、お医者さんですか。」
私は「いえ、違いますよ・・・」と応え、父が倒れた事だとか、一向に意識が戻らないことだとかを話し出した。きっと誰かに話を聞いてもらいたかったのだと思う。
暫くの間、静かに話を聞いていた運転手さんは、ぽそりと「きっと良くなりますよ、何の根拠もないけど、…うん、そんな気がします」と前を見ながら言った。大げさじゃなく、心が救われた。
結局、父はその後「良くなる」ことはなく、2年近く寝たきりのままで息を引き取った。
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あの日の運転手さんの予想は外れたが、
「良くならなかったぞ、コノヤロー」などと思うはずもなく、今も感謝の気持ちで一杯である。あの時に話を聞いたくれたから、その後の介護生活も踏ん張れた。
あの時に学んだことは、何か具体的なアドバイスができなくても良いということ。あの日の運転手さんのように、話を聴いているだけでも、人を助けることはできるのだ。
気の利いたアドバイスができなかった日は、10年前の出来事を思い出し、「きっと答えを見つけてくれたはず・・・」
と自分に言い聞かせている30代後半男の話でした。