言語化するということ。
「言語化」というワードが語られることは多いが、それが何を指すのかはあまり明確になっていない。そこでこのエントリでは、「言語化とは何か」という部分を深掘りしていく。
言語化とは
辞書的な定義では下記のようになるが、どのような言葉で表現すれば良いかが書かれておらず、何をもって言語化といえるのかが定かではないため、深掘りしづらい。
そこでこのエントリでは言語化を下記で定義しなおし、議論を進めていく。
言語化に至るまで
ある概念を言葉で表現しようとすると、まずはその対象を観察し、その対象にまつわる「既知の概念」を理解する必要がある。
たとえば「緑色の巨大なりんご」を観察すると、「りんご」という概念と「緑色」という概念を得ることができる。さらには「既知の概念のりんご」よりも「巨大」という差分も得られる。これらを組み合わせると「緑色の巨大なりんご」という概念を説明することができる。
つまり言語化とは、「対象の観察」をもとに得られた「既知の概念」および「既知の概念との差分」を組み合わせ、「新しい概念」を説明していく行為と言い換えられる。
言語化するために必要なこと
既知の概念を知っていること
「緑色の巨大なりんご」を観察した際に、「りんご」という概念を知らなかったらどうなるだろうか。「球体のような」であるとか「芯のようなものがついている」だとか、そのような抽象度の高い既知の概念を用いることで一応の説明は可能ではある。
とはいえそれらの説明はとても冗長であり、理解しづらい。
としたときに「既知の概念をどれだけ知っているか」ということが、言語化するにあたって重要であることがわかる。
既知の概念との差分を見つけるために必要なこと
言語化していくにあたっては、既知の概念を知っているだけでは足らず、対象と既知の概念との差分を見つけられる必要がある。
そのためには下記の三つが必要となる。
多数の既知の概念を詳細に理解していること
近しい既知の概念を見つけられること
既知の概念と比較した上で差分を見つけること
たとえば「りんご」を「赤い丸いもの」といったレベル感で理解していた場合、「トマト」との差分を見つけることは容易ではない。そのため、それぞれの概念をなるべく詳細に理解しておく必要がある。
また、「赤い丸いもの」を見たときに「りんご」や「トマト」を連想できなければ、それらとの差分を説明することはできない道理である。
さらには、その「赤い丸いもの」と「りんご」や「トマト」との違いを対象の観察の中から発見できなければ、対象を言語化していくことはできない。
つまり、既知の概念との差分を見つけるためには、既知の概念の詳細な理解、近しい既知概念の連想、既知の概念との差分の発見という三つの異なる能力が必要となる。
ここまでのまとめ
ここまでをまとめると、言語化とは、「対象の観察」をもとに、過去に理解した「既知の概念」を連想し、連想された「既知の概念」および観察により発見された「既知の概念との差分」を組み合わせ、「新しい概念」を説明していく行為といえる。
言語化の副作用
ここまで見てきた言語化の特性を裏返すと、「言語化することで対象の理解を深めることができる」という副作用に気づく。
言語化していく過程はまさに理解のステップであり、言語化できたということはその対象を理解できたということになる。
「理解しているならば自分の言葉で説明できる」というのはまさにその通りであり、これらを逆手に取った「物事を理解するために言語化するという手法」は学習においても効果的であるといる。
言語化が上手くなるためには
これまでの流れをもとに考えると、言語化するためには「多数の既知の概念」を理解しているが必要そうである。
とはいえただ知っていれば良いのではなく、対象の事象と比較できる程度の詳細な知識として理解しておく必要があるため、辞書をただ暗記するだけでは言語化が上手くなるわけではないといえる。
としたときに出来ることは「既知の概念を自分の言葉で言語化し、他人が言語化した同じ概念との差分を理解するという行為を積み重ねていく」という地道な行動しかなく、言語化の上達は一朝一夕では不可能という結論に辿り着く。
P.S. 過去に書いたこちらの note も参考になるかもしれません。
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