【リタ・セガート】家父長制:端から中心へ (3/3)これからを創造する
南米のフェミニスト人類学者リタ・セガートの紹介
【リタ・セガート】家父長制:端から中心へ (1/3)ジェンダーと公共圏
【リタ・セガート】家父長制:端から中心へ (2/3)残酷な世界の作り方
歴史を私たちの手で
女性や女性に関するものの価値を下げることは世界中で、また歴史の中で何度も起こっている。また、現代の残酷性を代表すると言っては過言ではない女性嫌悪、暴力の日常化や陳腐化は大衆を「しつけるため」の教育法となっている。
女性への暴力問題はもはや社会の基盤であるにも関わらず、問題自体は「マイノリティー化」され、「政治的」な空間から離れたところに追いやられている。こうして「重要な社会課題」(経済や金融、政治と政府、教育、医療、保安)と「そうでないもの」に分けて、そうでないものを「特定の人口に関するもの」「少数の関心ごと」として社会の中心から除くことを「マイノリティー化」と呼ぶのだ。
しかしこの分類化が間違っているのは確かだ。これは現代化や環境破壊がもたらす分類であり、国家が世襲的にエリートたちによって仕切られていることと関係する。エリートのロジックによって私的空間や家庭を「非政治的」とし、制度化されたもの・ことを男性的な空間(つまり政治的)とし、公共性のないものをマイノリティー化した上でさらに政治性も奪う。
ラテンアメリカの国家と国民との関係は、かつてヨーロッパとの関係性を相続したものだ。つまり、植民地の関係性。国家はこの植民地支配の関係性を受け継いで、現在でもそれを国民との関係性で再生している。つまり、国家は国民との距離があり、外側から支配している感覚なのだ。
「女性問題」が全ての抑圧と差別構造の基盤であることを理解すると同時に、それはその時代に何が起こっているのかを検証するためのの装置でもあることを理解できる。だからこそ、歴史の流れを変えるためにも家父長制の様式を再検証する必要があるのだ。進歩主義は聞き飽きた。何が価値があり、ないかを議論するのは無意味である。何が社会全体にとって普遍的な関心ごとかを決めるなんて、マイノリティー化された人々の声をまた無視することに繋がるだけだ。
そこで気づくであろう:歴史は自らの手で創造するのだ。
女性たちが自分たちで、自分たちのアクティヴィズムで道を開き、歴史を作り、自分たちの手の元から歴史が動き出し、動いてきた例はいくらでもある。それは、マイノリティーを隅に追いやることが大きな過ちであることを証明してきた。
ラス・マドレス・デ・プラサ・デ・マヨ(五月広場の母親たち*1)が「母親」という立場に政治性を取り戻した戦略的な行動は今でもアルゼンチン社会にとって重要な役割を果たし、強い影響をもたらしている。その勇気ある行動は彼女たちだけのためではなかった。不完全ではなかった。プライベートなことではなかった。マイノリティーではなかった。それは明らかな政治的戦略であり、社会全体に関係する歴史的な行動だった。それはマイノリティー化の構造を打ち破り、新しい政治性と主張を生んだ。
国家はいつでも家父長的だ。それは一生変わらない。国家の歴史は家父長制の歴史に他ならないからだ。国家に働きかけることを諦めるわけではないが、国家が政治の全てだと思ってはならない。国家に、「自分たちが政治の全てだ」と言わせてはならない。国家機関の外にだって「知的生命」は存在し、国家とは関係ない組織だってある。歴史を創造するのは人々だ。
家父長制の構造でできた国家というものはバイナリーを保つために機能している。バイナリーの世界では完全で普遍的な主体が完結された「公共圏」に存在し、その「残余物」として家庭や私的な問題はマイノリティー化されるのだ。だから行くべき道は「外」である。身体を持って外に出ることだ。広場に集まった母親たちのように、その母親としてのアイデンティティーを捨てず、その立場から声をあげること。声を上げて国家へ訴えかけること。
私たちは生き方を改めて創造しなければならない。南米の先住民が500年にも及び今なお続く支配を生き延びた「政治」の道だ。それは、日常の中で政治を紡ぎ、国家の外で行うこと。コミュニティーや共同体に根付いた暮らしは「社会性」を大切にし、資本主義にとって都合の悪い生き方ではないか。私的空間と公共圏を分離する壁を壊し、私的空間の政治性を取り戻す。女性たちの政治が今声を上げている。
人間関係を重視する道を選ぶことは「共同体として生きる」という長い歴史のあるプロジェクトを選ぶことだ。資本プロジェクトとは対義である。フランス革命の核である三つの信条である平等、自由、同胞愛に加え、私たちの大陸が時代をかけて経験、調整してきたもう一つの信条を加えることだ。それは「相互関係」。
これからは女性たちが用いてきた戦略をもって前に進もうではないか。
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*1 アルゼンチンの独裁制時代、何人もの国民(主に男性)が突如行方不明になる事件が相次いだ。その数は3万人までのぼった。これらは恐らく独裁政府が起こした事件である。その事実を表現し、抗議するため、母親たちは毎週広場に集まり、行方不明の家族の写真などを持って社会に訴えた。この運動はシルエタソと言うアート・アクティビズムにもなったので、それを長く研究していたアナ・ロンゴーニの文献を近々紹介したいと思う。