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踏切に飛び込もうとして自分がDVママであることを認めたら生活がうまくいくようになった話
ある日、
警察からシェルターに保護されたが
母子寮でも人に頼ることが出来ず、
誰にも自分の辛さは理解してもらえない、
自分に母親は無理だと、
ベビーカーに2人の息子を残して
踏切に飛び込もうとした
【モカちゃん】です。
この記事では、
ずっと頑張り屋のママとして生きてきたけれど、
「私は立派な母にはなれない」
と泣きながら家族に本音を打ち明け、
良妻賢母への憧れを捨て、
家族第一でなく自己優先に自由を楽しんだら、
子ども達と信頼関係を築き直せ、
新しいパートナーと
新しい人生を歩み始めることができた
今まで隠して生きてきた、
私の10年間の黒歴史を綴っています。
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寝不足で私も子どもも目の下にはクマ
教育に良さげなことは、何でもやらせた
今のプロフィールを簡単に説明すると
・シングルマザー9年目
・自分が好きな仕事を手に
・子ども達が積極的に食事作りや洗濯
・ジムやひとりカラオケで自分時間を謳歌
・ストレスでの慢性的な症状による病院通い卒業
・婚活女性への相談相手
をしています。
今でこそ赤裸々に語れますが、
1年前までの私は誰にも自分の本音が話せず
毎日泣きながら自分の人生を呪っていました。
自分の時代は終わった
20歳で結婚、出産
若いママだと舐められたくなくて
立派な母親を演じ続けた。
辛い時、誰にも本音が言えず、
次第に
・子どもが可愛く思えない
・毎日子どもと缶詰状態で精神崩壊
・自分のことより、家族優先
・休日が来るのが億劫
・今日も何もできずに終わってしまったと後悔
・子どもが小さいのにお洒落してるママさんを見ると、ざわざわする
・子どもに当たった後、寝顔を見ながら涙が出る
・人に打ち明けたい悩みがあるのに、溜め込んでしまう
・常に時間に追われ子どもにイライラ
・出勤前に始まる子どもの登校拒否。
腕を引っ張り玄関に放置したまま、
家の鍵を取り上げそのまま出勤
・平日なのに夜中の1時まで塾の宿題。
終わるまで、晩ご飯を与えないetc…
本当に、ひどいことばかりしていました。
家族や友達に我が家の実態を伝えたら
嫌われてしまうと思い、
誰にも相談できず、ついに気持ちがパンク。
DVママどころか
自分の存在価値まで失った私
ベランダに足を掛けたことも。
あと一歩の勇気が出ず、
誰かに話を聞いて欲しいと、
アドバイスをせずに
ただ匿名で話を聞いてくれるサービスを探した。
そんなとき
同じ経験を持つママさんとの出会いがあり、
自分の考え方を見直す機会が。
見よう見まねで自分の生活を見直し、
手放せる家事は手放し、
自分のやりたい事だけをやっていった。
すると、
独身を楽しんでいた頃のように
自分のことも優先して考えられるようになり、
あんなに泣いていた日々が、
いつの間にかなくなっていた。
子ども達が常にちょっかいを
出してくる、愛されママに戻れた。
家の中は常に笑い声に溢れ、
恋愛もうまくいき、
子どもも私を応援してくれて、
恋バナができる仲に。
あの時、人生を諦めなくて良かったと、
今まで頑張り過ぎていたことを
自覚したのを覚えています。
1年前の私と同じように、
子育てで、どうにもならない状況を
1人で抱え込んでいるなら、
このブログを読んで、少しでも気持ちが楽になればと思います。
今まで人に話すことのなかった、
私の赤裸々な過去です。
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以前
・ヘアカラーは自分でするもの
美容室代は貯金にまわす
・7年以上着てる毛玉付きカーディガン
・ストレス太り
・おなかもぽっこり
今
・体重7キロ減
・髪はこまめに美容室
・アイブロウやアイラッシュもプロにお任せ
・外見褒められることが増えた♡
母子寮生活より、サレ妻になることを選んだ
私は20歳で結婚した。
彼はモテる人だった。
結婚中、浮気は多々あったけれど、
若いんだから仕方がないと、祖母から言われた。
離れた夫が戻ってくると信じ
”良妻賢母”を振舞い続けた。
お姑さんのように
一汁三菜を心掛け、
家計簿も毎日つけ、
知らない間に増えている借金を、コツコツ返した。
献立を立てて週に一回まとめ買い。
食費は毎月12,500円(米代込み)でやりくり。
子どものおやつは基本手作り。
平日は5時半に起きて4人分のお弁当を用意し、
毎朝トイレ掃除から始まり
1日2回は掃除機を掛けた。
それが、いい妻だと思っていた。
だけど主人は帰ってこない。
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オムツ替えをしてくれる長男
ある日、色々あって家に居れなくなり、
仕事帰りに車中泊できるよう、
車に毛布を積んでいた。
就労後、保育園にお迎えに行った際
その話を担任の先生にしたら、
女性のお悩み相談所のカードを渡された。
言われるがまま電話をし、
最終的に案内されたのは、
近くの警察署の生活相談員さん。
相談だけしとこうと思ってそこに行ったら、
家には帰れない、
そのままシェルターに保護します
スマホも一時回収します…と
予期せぬ流れで、シェルター保護されることに。
ほぼ手ぶら身一つの状態で、
子ども達と共に搬送された。
シェルターには色んな人が居た。
不自由さや先行き不安の中
規則正しい生活を行なった。
0歳と2歳のやんちゃ息子を連れたシェルターでの
共同生活は、過酷なものだった。
3週間後、やっと住居が見つかった。
自分達の居場所が特定されない、
行ったことがない田舎の土地。
田舎に行くことより、
シェルターを出れる嬉しさが勝った。
だけど行ってみたら
すべてを管理される母子寮は、
私には無理だった。
所持金も、外出時間も、
なにもかも管理された。
呼ばれたら、すぐ事務所に行かなければならない。
3人暮らしとはいえ、
お寝坊もできない、
ご近所トラブルもある、
乳幼児をつれた家族に対して、
優しい言葉をかけてくれる職員さんは居なかった
とにかく自立を促す母子寮だった。
お金がなくて、毎食おにぎりを食べた。
個包装のふりかけで
味にバリエーションをつけた。
ご馳走は、レトルトのお味噌汁。
ある日、子どものオムツがとうとう無くなって、
預けてある自分のお金を受け取りに行ったら、
「一昨日3,000円出したばかりですよね?」
と言われた。
お米を買ったらなくなったとは言えないくらい、
私の味方は居なかった。
歩いて片道30分のホームセンターに行く途中、
気付いたら踏切に侵入していた。
だけど息子の声がした。
もしかしたら、後を追って、ここに入って来るかもしれない
それは1番望まないこと。
踏みとどまった
ひとり泣き喚いた。
母子寮に戻った
元夫から、やり直したいと、
弁護士に頼んで作ってもらった
手紙と誓約書が届いていた。
私は、就活の為に、
預けていたスマホが戻って来ていた。
夫に電話を掛けた。
家に帰りたい、と。
誓約書なんて、
ただの紙切れ。
半年後には、以前の生活に戻っていた。
そうなることは分かっていた。
だけど、あの時の私は、
とにかく母子寮から抜け出したかった。
管理されながら生活するより、
不倫をしている旦那のそばで
子どもを育てられる環境の方が、
ずっとラクだった。
だけど、その生活も長くは続かず、
離婚することを決心した。
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離婚裁判中、頭にハゲが出来てました◎
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とポストにチラシが。
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子ども達を毎日20時まで外に連れ出し、
帰宅後すぐに寝かせました
当時、私の状況を知った知人が
不動産を紹介してくれ、そこでやっと
安心して過ごせる場所ができた。
離婚も成立し、
心に余裕ができ、
シングルマザーってこんなに楽なのか!
私、もう二度と結婚したくない
と強く思ったのを昨日の事のように覚えている
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イベントのケーキは、いつも手作り
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![](https://assets.st-note.com/img/1710131016974-038dhSoFV4.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1710131062642-tiutzzG1Dk.jpg?width=1200)
"子が育てば楽になる" は、ただのおまじない
子どもが小さいと、
何事も予定通りには進まない。
子どもが成長すれば、
手が離れて楽になる
それだけを信じて頑張っていた。
だけど、そうでもなかった。
私の人生どん底2回目は、
子どもが自分のことをある程度できるようになってからやってきた。
子ども達が小学校高学年になり、
事情があって、東京に引っ越すことに。
引っ越した地域は、
周りが皆、中学受験をする環境だった。
学習習慣がなかった我が子達を、
塾に入れた。
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ファミリーレストランへ
生きていると、
色んな環境に身を置く機会が
あるのだろうけど、
この時は、中学受験が当たり前の環境だった。
周りの小学校の中学受験率は9割以上。
油断すると、すでに人生に乗り遅れている気がして
とにかく焦った。
子ども達は、勉強から逃れたい。
テレビもゲームも取り上げた。
大好きだったレゴも、工作も、
お友達との外遊びまで
塾の宿題が終わらないから断りなさいと言っていた。
"子ども達の将来のためにやっている"と自分に言い聞かせた。
これまでやっていなかった分を補おうと
毎日何時間も、子どもの勉強相手をした。
塾の成績が下がった
ストレスの矛先を我が子に向けた。
怒鳴りまくった。
テキストを投げつけた。
優しいお母さんになれなかった。
うちはワンオペで、父親はいない。
私が優しさの隙を見せると、
付け込まれると思っていた。
知恵がついて、正論ぶった交渉をしてくる子ども達。
母親の威厳を守らなきゃと必死だった。
もう、自分ではコントロールが効かなくなっていた。
ご近所さんが警察に通報してくれることを願いながら、
誰かに助けを求めていた。
そんなとき、たまたま
とある方の講座を受ける機会があり、
今自分が当たり前にしている家事が、
本当に必要なのかを見直していった。
自己犠牲を感じるものや、
我慢することもやめた。
そしたら、
自分の心の持ち方が、
短期間で一気に変わった。
子どもに余裕を持って接せるようになった。
毎日心から笑顔で過ごせるようになった。
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(右)週1はお総菜に頼るようになった
![](https://assets.st-note.com/img/1710136376868-Zel3UFW62F.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1710136449546-kglTm3pAHA.jpg?width=1200)
ママ友さんと平日昼間から飲むことだって考えられる
ようになった
今振り返って、深く思うのは、
子どもに手がかかっていた時期も、
自分が毎日我慢しなくて良いやり方なんて
いくらでもあったわけで、
それを私が知らなかっただけだった。
子育ての秘訣は、自己優先!
私はずっと、
子どもに愛される母親になりたかった。
子どもが良い大学に入って、
良い会社に就職して、
幸せな人生を歩んで欲しいと願って、
そのための今を作るのが
親の役目だと思っていた。
そのために、今は家族が第一優先で、
私がやりたいことは我慢していても、
いつか巡り廻って自分の喜びになると信じていた。
だけど、
ものごとはうまく運ばず
子ども達との信頼関係は
失われていくばかりだった。
子どものためにと思ってやっていたことが
子どもを無気力にし、
笑顔を奪っていた。
私とも、目を合わさなくなった。
図書館に行った。
どうしたらいいのか、
頼るように教育本を読み漁った。
私だけじゃなく、子どもも鬱状態だった。
私が子どもをダメにしてしまった。
誰にも相談できなかった。
だけど、
自分の考え方が原因なんだとわかった。
私って、いままで無意識レベルで
我慢ばかりしていたから、
こんなに疲弊する毎日になっていたんだと気づいた。
その時の私は、
毎日のトイレ掃除をやめてみるところから始めた。
子どもが靴を揃えないのを、怒ることから辞めてみた。
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必ずご飯が炊いてある。
息子達それぞれ積極的に家事をしてくれる。
いい母を辞めたらモテモテに
今まで頑張ってきた家事だけど、
辞める方法をとにかく探し、
自分に余白を作ることを意識して、
好きなことや、ゴロゴロする時間は削らないようにしていった。
するといつの間にか、
子どもにイライラしなくなった。
ポジティブ思考をやめて、
ネガティブ思考も受け入れるようになったら、
どんなことでも許せるようになった。
心に余裕が持てるようになり、
毎朝、勤めに出るんじゃなくて、
在宅ワークがしたいと思うようになった。
好きなことを見つけて、
それを仕事にしたいと考えるようになった。
そのための行動がとれるようになった。
封印しなきゃと思っていた恋愛も、
楽しみたい!と考えるようになった。
家族にもオープンに、
自分の理想の男性像を
言語化するようになったら、
男女問わず素敵な出会いが増えて、
理想の人とも出会えた。
仕事も生活も、
1年前の自分には
想像できなかった今になってる。
もし、今子育てに追われて
辛さを感じてるママがいたら
まずは家族のことよりも
自分が笑顔になることをして欲しい
って心から思う。
そのために、
何か新しいことを始めてはダメ。
まずは、今やってる日々の小さな習慣で
省けることを増やして、
とにかく、
寝て!休んで!ゴロゴロして!!
好きな漫画を読んだり、
素敵なカフェに行ってみたりして
1000%疲れてる自分を
労ってあげて欲しい。
毎日自分がリフレッシュできてると、
家族に伝わるし、
イライラもしなくなる。
パートナーにも愛されるようになる。
男性が求めていることって、
良妻賢母の妻でなく、
いつも機嫌が良い妻だったんだなって
経験から本当にそう思う。
自分の頑張り過ぎた過去で
人に話せないくらいの大失敗があったけれど
今、私の周りに、
過去の自分を見てるような
頑張り過ぎてるママさんが
あまりにも多く感じて
自分の暗黒時代の話を
打ち明けようと思いました。
私の最低な過去が
少しでも誰かの光になれば良いと思う。
私がやっていった家事の手放し方は、
いつでもアドバイス出来るから
気軽にメッセージしてね✨
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