酔っていた話
私には好きなことがある。
私には夢がある。
そして、今それを自分の仕事にしようと奮闘している。
私は占い師になりたい。
有り難いことに、時折、依頼をいただいて占うこともある。
私はその先に行きたい。
占いで生計を立てたい。
今日、おみくじを引いた。
そこに書かれていた御言葉は、こうだ。
「 楽な仕事を望んでいると、
何でもない事が苦になる。」
占いは楽な仕事ではない。
苦境に立たされた人の話を傾聴する。
カードを引くときは本気で向き合う。
星の配置は複雑で、刻一刻と変わる。
簡単な工程など何一つないのだ。
それでも。
心のどこかで、楽に稼げたらいいのに、なんていうことを思っていたのかもしれない。
そうでなければ、さきの御言葉はこんなにも私の胸に刺さらないはずだ。
私にとって、何でもない事が苦になっている。
それは紛れもない事実だ。
毎日何かに緊張して、
毎日何かを不安がって、
毎日くたびれている。
何に疲れているのか。
現実に存在するものなのか、自分の脳が作り出した虚像なのか、それすらも危うい。
私が楽な仕事を望んでいたとしたら。
そもそも楽な仕事はないから、仕事は楽にはならないだろう。
それによって、他の何でもない事が苦しく、重たくなっていたとしたら。
意識を改めるべきではないのか?
私は、自分自身の中にある、占いへの畏れの意識について考えていた。
そもそも、占い、つまり未来という不確かなものに触ろうとしている行動は危ういのである。
占いは自己分析ツールという考え方もあるし、部分的には私もそう思う。
ただ、未来を占うことで金銭のやり取りが発生して、自分に利益がある占い師という職業は、やはり危うい気がするのだ。
何事も「こんなもん」と思っていると、痛い目に遭う。
占いに対する、畏敬の念を忘れてはならないと思った。
私は酔っていたのかもしれない。
夢を叶えたくてがむしゃらに前に進もうとする(ように思えていた)自分自身に、酔っていたのかもしれない。
これまでの苦難を思うと、いつか楽をしたいと願わなくもないが、はっきりと思う。
生きている限り、楽な道はない。
少なくとも、それは今ではない。
今の私は学ぶ身であり、ただただ吸収と発散と成長を繰り返すべき身なのだ。
緊張してもいい、不安でもいい。
時にはくたびれることもある。
でも、真面目にやろう。
真面目に勉強しよう。
きっと、酔わずに前に進めるはずだ。
私は、占い師になりたい。
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