喜和田 衣

きわだ ころも。雪国に住んでいます。猫もいます。

喜和田 衣

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最近の記事

酔っていた話

私には好きなことがある。 私には夢がある。 そして、今それを自分の仕事にしようと奮闘している。 私は占い師になりたい。 有り難いことに、時折、依頼をいただいて占うこともある。 私はその先に行きたい。 占いで生計を立てたい。 今日、おみくじを引いた。 そこに書かれていた御言葉は、こうだ。 「 楽な仕事を望んでいると、    何でもない事が苦になる。」 占いは楽な仕事ではない。 苦境に立たされた人の話を傾聴する。 カードを引くときは本気で向き合う。 星の配置は複雑

    • 朝のはなし

      日を浴びたいと思った。 トリプトファンがセラトニンに、セラトニンがメラトニンに、などという理由もあるが、これはもっと単純な話だ。 私の家にはベランダがある。 2階の一番奥の部屋、東向き。 サンダルを出してベランダに出る。 薄水色の空に白い太陽が大きく、眩しくて直視できない。 雀が鳴き、雪は解け、土肌が見えている。 裏の家の庭に、焦げ茶色になった流木のような木が置かれている。 エナメルバッグを提げた中学生がふたり、何か話しながら走っていった。 空気が冷たいと美

      • ウィーザーのはなし

        ウィーザーの『Island in the Sun』が好きだった。 特徴的なギターリフが心地良く、YouTubeで何度も聴いていた。 大学2年のとき、わたしは本格的に体調を崩した。 毎晩眠れず、食事はポカリスエットとカロリーメイトだけだった。 寂しさと悲しさと苦しさが6畳のワンルームを満たしていた。 誰にも言えない気持ちをツイッターで吐き出すこともあった。 死にたいと書きたい自分にさえブレーキをかけ、消えたいと書いていた。 あるとき、相互フォロワーの男性からダイレクトメッ

        • わたしのはなし

          わたし、何かを隠したりとか嘘をついたりというのが下手だし苦手だし、そもそもなるべくしたくなくて。 手の内を明かして生きていたいです。 できれば、ずっと。 今までの人生もそうしてきたつもりで、どうやらそれをつまらないと思う人もいたようです。 それでも、わたしの中身を見て面白いと思ってくれた人たちも沢山いました。 そういう人たちに心の底から感謝しているし、実はわたし自身もなかなか良いのではないか?と気に入っています。 手の内を明かして、健やかにのびのびと、どこかユニー

          日曜の袋ラーメンのはなし

          日曜の昼食はなんでもいい。 そもそも食事はなんだって好きなものを食べればいいのだが、日曜の昼食はその度合いが強まるように思う。 サッポロ一番塩ラーメン。 計量カップで500mlの水を測り、雪平鍋に入れる。 袋ラーメンを作るのに水を測ることを人に話したら驚かれたことがあるが、わたしは目分量が下手な自覚がある。 雪平鍋という日本語は美しいなと思いながらコンロの火をつける。 雪平鍋という名前は、鍋の槌目(つちめ)模様が雪のようだから、ということらしい。 たしかに雪にはいろいろ

          日曜の袋ラーメンのはなし

          夏の手紙のはなし

          淡いマーブル模様の世界で眠っているきみへ。 きみがあんぱんを食べるとき、ひとくち目で餡に辿り着きますように。 きみがお料理をするとき、南瓜がさくりと切れますように。 きみが眠るとき、かならず温かい毛布がありますように。 もしきみがつらい思いをしたとき。 涙をぬぐうタオルがやわらかく、そのそばに話を聞いてくれるひとがいて、翌日の朝日がきみにやさしく差し込みますように。 きみは、 そして私も、 つまり我々は、 愛されるべき存在なのです。   もちろん、きみの大切なひと

          夏の手紙のはなし

          会いたいという気持ちのはなし

          SNSが普及してから2019年末まで、インターネット上でやり取りをしたときに「会いたいね!」とか「またみんなで飲もう!」とか、そんな挨拶をたくさん見かけた。 心からそう思うものもあったし、軽い感じで言うことも言われたこともあった。 2020年。 新型コロナウイルスが蔓延して、そういうシーンの言葉が「落ち着いたら会おうね」なんていうものに変わったように思う。 状況が許せば。 行き来しやすくなったら。 世の中が落ち着いたら。 いろんな言葉に言い換えて、会いたいねと伝え合っている

          会いたいという気持ちのはなし

          姪のはなし

          私には姪がいる。 "2013年生まれ"という数字が自分の生年とかけ離れていて驚くけれど、それでももう7歳。 立派な小学生だ。 姪は今までに8回入院しており、その報せを受けて心配と不安で心臓がドクドクいうのを感じながら駆けつけると、手がつけられないほど大泣きしている時もあれば、案外とご機嫌でクリームパンやプリンなんかを頬張っている時もある。 子どもがもりもりと食べている様子は、こんなにも安心感を与えてくれるのだと知った。 将来の夢は医者か看護師だという。 もう少し幼いころの

          姪のはなし

          久しぶりに本を読み始めたはなし

          ああ、この感覚だ。 気持ちがいい、と思う。 持病の影響で文章を読んで理解する力が極端に落ちており、ここ数年は読書から離れていた。 しかし、きっとまた読める日が来るだろうと、欲しい本はできるだけ買っておくことにしている。 この本の出番は思ったよりも早くにやってきた。 「御社のチャラ男」 絲山秋子さんの著書である。 2020年1月に第一刷が発行されている。 文章を読み、登場人物の出で立ちや動きがイメージできたりその人物らしい言い回しに納得したりする、というのは楽しい。 そ

          久しぶりに本を読み始めたはなし

          団地のはなし

          団地を見ると泣きたくなる。 平々凡々なこんな私でも、これまでの30年間いろいろなことがあった。 波乱万丈かはわからないが、それなりの出来事や経験を重ねてきた。 団地住宅に並ぶ、無数の窓。 きっかりと同じサイズ、まったくの同じ材質である。 その窓の奥にはそれぞれの人生がある。 想像もつかない、他人の生活。 生まれてから今日までの日々。 知らないひとの人生なのに、そしてこれからも知ることはないのに、涙が出る。 嬉しい言葉をもらった日 友だちと喧嘩をした日 初めて制服を着た日

          団地のはなし

          星になる予定だったもの

          わたしは精神疾患があり、 数年前から障がい者手帳を持っている。 心に、身体に、その症状が毎日現れるがなんとか付き合えている。 障がい者雇用の枠で就労しており、プライベートではいろいろな福祉サービスを受けながら暮らしている。   わたしには6歳の姪がいる。 昨年のクリスマスにはサンタクロースから「アクアビーズ」というおもちゃをもらったらしい。 遊び方はいたって簡単かつ安全で、型紙の上に凹凸のある透明の台を置き、型紙に沿ってビーズを並べていく。 そこにスプレーで水を吹きかけると

          星になる予定だったもの

          不自由な幸福のはなし

          私はいつも22時ごろにベッドに入る。 電気を消すと、飼い猫のナツも自分の寝床に入って丸くなる。 ナツの寝床は私の足元だ。 ここ数日はほぼ毎日雪が降り、いよいよ冬到来といったふうである。 朝晩は氷点下まで冷え込む日もある。 家の中ではもちろん暖房をつけており、私の部屋には大きめのパネルヒーターがある。 そのヒーターの真横に私のベッドがあるのだが、いま、ナツは私とヒーターの間に寝ている。 たまに、こうして添い寝してくれることがあるのだ。 "添い寝してくれる"と書いたが、それ

          不自由な幸福のはなし

          カレーライスのはなし

          父方の祖母は、とても真面目なひとだった。 若い頃は銀行員として働き、建築士の祖父と結婚し、ふたりの男の子を出産した。 その長男が私の父である。 祖母の趣味は書道であった。 父方の親戚には書を趣味としているひとが多かったこともあり、きっと祖母は小さい頃から筆と墨に慣れ親しんでいたのだろう。 私が小学校1年の時に祖父と父が家を建て、祖父母、両親、姉、私で6人暮らしをすることになるのだが、それまで祖父母はふたりでマンション暮らしをしていた。 祖父母の部屋はマンションの最上階に

          カレーライスのはなし

          「袋小路の男」のはなし

          絲山秋子さんの著書「袋小路の男」という小説に“酔いも手伝って名神・東名を160キロでとばして東京に行った”という文があるんだけど、私が高校生のときに受けた国語の模試の問題文のなかでは、飲酒運転であることと時速160kmも出していたことは伏せられていた。 たしか“とにかく急いで東京までクルマをとばした”とか、そんなふうに変えられていたと思う。 主人公がこれから運転するのにあえて飲酒した心境や、そこまでスピードを出した理由、そういうことに思いを巡らせるにはやはり原文が必要

          「袋小路の男」のはなし

          夜と朝のはなし

          「明けない夜はない」 有名な言葉だ。 どんなに辛く苦しいときが続いても、きっといつか明るい日々が来る、そういう意味なのだろうと私は捉えている。 しかし、明けない夜はなくとも、朝も昼もまた過ぎ去るのだ。 ふたたび深く暗い夜が来る。 いちど朝や昼を過ごしたばっかりに、昨日の夜よりも今日の夜はなんて絶望的なのだろう。 「今、この瞬間が辛い」 そう嘆く人に未来を見ろ、希望を持て、というのは、場合によっては酷だ。 開けない夜は確かにない、朝も昼も来る、そしてまた夜が来て朝が来

          夜と朝のはなし

          義兄のはなし

          私の姉は結婚しており、娘がひとりいる。 今日は姉の旦那さん、つまり私の義兄について書こうと思う。 私が義兄と初めて会ったのは、いつの年だったかは忘れたが、たしか秋だった。 私と姉が雑貨屋で買った凧を上げて遊んでいたら、凧糸が絡まってしまったのだ。 姉が誰かに電話をかけていた。 10分かそこら経った頃、公園にひとりの男性が来た。 黒いコーチジャケットに黒いスキニー、そしてなんだか派手なスニーカーを履いていた。 のちに義兄となるひとの、絡まった糸を直す後ろ姿を覚えている。

          義兄のはなし