姪のはなし
私には姪がいる。
"2013年生まれ"という数字が自分の生年とかけ離れていて驚くけれど、それでももう7歳。
立派な小学生だ。
姪は今までに8回入院しており、その報せを受けて心配と不安で心臓がドクドクいうのを感じながら駆けつけると、手がつけられないほど大泣きしている時もあれば、案外とご機嫌でクリームパンやプリンなんかを頬張っている時もある。
子どもがもりもりと食べている様子は、こんなにも安心感を与えてくれるのだと知った。
将来の夢は医者か看護師だという。
もう少し幼いころの表現であれば「大丈夫ですよ、治りますよ、という人になりたい」とのこと。
病院の方々にかけてもらった言葉を大切にしている様子に、じんわりと泣けてくる。
ある日、姪が突然「いつもお薬を頑張って飲んでるから、これあげるね」とメモ帳と鉛筆をくれた。
私は持病の薬を12年ほど飲んでいる。
いつも私が食後に服薬するのを見ていたのだろう。
"薬を飲む"というもはや作業とも呼べる行為を自分は頑張っているという自覚はまったくなかったけれど、思いがけず姪に褒められ励まされ、大きな元気をもらった。
メモ帳と鉛筆は、まだ使わずにとってある。
人のからだが、
心が、
日に日に成長していく様を
間近で感じられる環境を
ありがたく思う。
いのちの重さを"尊い"と表現する理由が、
姪のおかげで少しわかったかもしれない。
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