【ショートショート】ピアノの日
ポン、……ポン、……ポン、ポ、ポン。
決して軽やかとは言えない音が窓の向こうから聞こえてくる。この近所は密集した住宅地だから、どこの家から聞こえてくるのかはわからない。んーでも方角的には駅の方、かな。何件か先にちっちゃい女の子いたかも。いやまてよ、その向かいには同い年位の男の子もいたような。別にちっちゃい子とは限んないよね、中学生くらいの子もいるし、おばちゃんもおじちゃんもおばあちゃんもおじいちゃんもいる。
結論として、誰が弾いててもかまいやしない。
ピアノを始めたんだな、頑張れって思うだけ。
ゆっくり紡がれる旋律はとぎれとぎれで何の曲だか解らないけれど、微笑ましくなってふふって笑顔になった。
ポロロン、ポロロロン。
最初に聞こえてたとぎれとぎれからおよそ1か月、音が繋がって、一応のメロディぽさが伝わってくる。
おお、頑張ってるね。このところ、たどたどしいながらも低音も一緒に聞こえてきていて、左手も一緒に弾いてるっぽいのがわかる。こんな練習の仕方をするってことは少し大人向けだったりするかな?好きな曲の楽譜を手に入れて、なんとか弾きたいって感じなのかも。凄いね、音を追いかけるだけだった頃と比べて、きっと弾いてる自分も楽しいと思い始めてるんじゃないかな。
風に乗って流れ来る旋律は流行りのあの曲。ああーそっか、凄くいい曲だよね。ピアノのイントロがとても印象的で、なるほど弾きたくなる気持ちも解る。ただ……あの曲はテンポがかなり早くて難しい。
うん、頑張れ。応援しかできないし、大きな声をあげておおっぴらに頑張れとも言えないけれど。どうか、彼もしくは彼女が諦めずに頑張りますようにと祈りを旋律に乗せた。
タラララ、タララララ。
明らかに滑らかになった旋律。あの印象的なイントロを、再現…にもう少しというところまできている。
凄い凄い。
この音を聞いただけで、毎日きっと頑張ってるんだろうなってよく解る。平日は聞けないけど、週末に窓を開けるごとに聞こえてくるそれは、確実に綺麗な並びになっていき、明らかに慣れを感じさせた。
継続は力なり、を体現して見せてくれているその音。
ああ、いいな。滑らかで弾んだ音は、楽しいという気持ちで一杯なんだろうと伝えてくれる。
そうだよね、弾けるようになってくると、格段に楽しいんだ。忘れてたなぁ、そんな気持ち。
手元の鍵盤に目を落として、指をさらりと滑らせる。
そうだった……コレは楽しいもので、楽しい気持ちになってもらうためのもので、苦しさでいっぱいのまま弾くものじゃないんだった。
楽しそうな旋律が聞こえる窓を、もう一度耳を傾け、ありがとうと呟いてから、きっちりと閉める。
ありがとう、思い出させてくれて。
椅子に座り、深呼吸を一つ。
苦しくて仕方なかった時間の向こうには、楽しくて仕方なかった頃があったのを思い出した。
今日は好きな曲ばっかりにしよう。練習も必要だけど、心の息抜きも必要だよね。
全く聞こえなくなった窓の向こうの音色を再現するかのように、お気に入りの曲のはじまりの音に指を乗せた。
今日は「ピアノの日」だそうです。雑学ネタ帳様より。
その昔、ピアノを習っていました。子供の手習いですが、高校生になっても通わせてもらっていたので、両親には感謝しかありません。今はもう指はほとんど動かないでしょうが、それでも楽しく弾いていた思い出がよみがえります。
…というと、少々語弊がありますね。楽しいとしんどいが半々、というのが本音です。
なんでもそうだと思いますが、習い始めはうまくできなくて苦しい。ある程度慣れてくると楽しいが増えてきて、でも、もっとと思ってしまうとその先の高みを目指し始めてまた苦しい、という時間が少なからずあると思います。今回はピアノの日ということでピアノで表現しましたが、楽器なんかは特に、楽しいけれど苦しい、というものになるのかなぁと。
そんな時は初心を思い出して、好きなように好きな曲を弾いて、楽しい気持ちを思い出すのも大切だなと思いました。始めるきっかけを思い出すと、特に心が弾んだりしますよね。