躁鬱(双極性障害)の人向け 自分にとって不都合なことは避け続けた方が良いのか?
前回の記事を読んでいただいた皆様、ありがとうございました。こちらの記事は有料にしました。なぜかというと、ここを抜かしては安定はないし、安定している人はもれなく出来ていること、でも仕事の方が重要視され、あまり語られないゆえに価値があると考えています。
他には単純に買っていただけたら、やる気が出るし、また頑張れそう、だから書いてみようというチャレンジです。
なぜかいつもより強く伝えたい、伝わって欲しい気持ちが湧いてきて書きました。エゴですね。
記事は過去の自分を思い返して書いているのですが、「逃げないで」というメッセージでもあります。自分の中で、生活がままならないとわかっているのに仕事や勉強に打ち込んだところで、その先どうなるかは検討がつきます。自分の体や心を知ろうとし、試行錯誤するのは誰も代わってくれません。体や心と向き合うことを後回しにしない、他のことで紛らわし、見ないふりをしない、始めるなら早ければ早いほど良い、と伝えたい気持ちでした。
さて、ここからは、心理学の学びで役に立っている部分を書きたいと思います。
その一つに“傷つかない”があるんですが、心理カウンセラーをしていい、というか出来る条件があり、“傷つかない”もその一つです。
全く“傷つかない”は無理ですが、誰かから言われたこと、特に耳の痛い話をどう受け取れるか?が重要になります。
耳の痛い話とは、弱点をつかれて聞くのが辛かったり、欠点の指摘や忠告などを指します。
つい反射的に傷ついてしまうかもしれませんが、カウンセラーは“傷つき”ではなく“気づき”に変えていきます。全てではありませんが、他者からの忠告は貴重なフィードバックなのです。
なぜこの話に触れたかというと、体調を回復させているときに、耳の痛い話ってあると思うんです。自分にとって不都合なこと、と言い換えても良いかもしれません。それにどう対応するか?傷ついて対立するか、何かに気づいて行動するか?結局自分が引き受けてやるしかないのですが。
例えば、周りから「これやってみたら?」という提案。提案て結構うっとおしいんです、やりたくない、興味がないなら尚更。でも、客観的に見てそれくらいの負荷なら出来るのでは?という評価だったりします。
不必要に傷つくことなく、今必要なことに力を注げるといいなと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。