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アーティチョークを食べる
座の市でアーティチョークを手に入れた。
座の市とは高円寺の座・高円寺入口前広場で、毎月第三土曜日に開催されているフードマルシェである。
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出店のいまここファームさんによると「そういえばあるなとおもって、今朝収穫して持ってきました」とのこと。とれたて新鮮なアーティチョークである。嬉しい。ちょうど今頃の季節が旬だそうだ。
アーティチョークとの出会いは私が小学校の頃である。借りてきた外国の絵本のなかで登場人物が食べていた。
それを話題にしたら、親が裏の畑にアーティチョークを植えた。植物を育てるのが上手い人たちで、それはそれは大きく育った。しかし、誰も具体的な食べ方を知らなかった。インターネットのない時代である。
アーティチョークとは、チョウセンアザミとも呼ばれる。アザミなので花も咲く。蕾の状態でも、グレープフルーツ大の大きさである。
用途が思い浮かばなかったのか、ある日、母は小学校に持って行きなさいと蕾の状態のアーティチョークを数本切って、新聞紙に包んで私に持たせた。
家で育てていた花を、教室に飾る花として児童が持っていくことはよくあることだった。しかし、こんなに重たい花束を持たされたのは後にも先にもこの時だけである。
こんなに大きくて重いものを活けられる花瓶は小学校にはなかった。仕方なしに、先生は掃除に使っているブリキのバケツに水を張って、それを活けた。
アーティチョークはアクが出る。バケツの水がだんだん黒く濁っていくのを、私は複雑な気持ちで見守った。アクの存在を知らなかったので、すごく悪いものを持ち込んでしまったような気になっていたのだ。
巨大なアザミの花を小学校で見た記憶はない。
些か消化不良だったアーティチョークの記憶は、今日食べることで消化しよう。
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本の中のアーティチョークは、茹でたのち剥いて食べる、というイメージだった気がするが、いまここファームさんによると素揚げも美味しいとのことだったので素揚げにすることにした。
周りを覆っている萼(がく)をむしる。さすがアザミである。手に刺さる。簡単には剥かせてくれない。ラジオペンチを用意した方が良かった。
その後、内側の花びら部分をむしる。これはタンポポが綿毛になる前の状態で、綿毛が乾燥し切ってないくらいの時にむしろうとした時の感触と似ている。
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すると、あの大きかったアーティチョークはこれだけになってしまった。
栗の皮剥きのような大変さがあった。だが、栗だったら「これだけ減ってしまったのは私の皮剥きが下手だったからだ。次回からはもっと上手くやろう」と思える。しかし、アーティチョークは取り外しづらいとはいえ、食べられない部分ははっきり分かれている。つまり剥きすぎで減ってしまったということはなく、食べられるのは本当にこれだけなのである。
どのような形が正解かわからないので、フライドポテトのように細長く切って、油で揚げた。
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少し空気に触れていたら、まだらに黒くなってしまった。なので、小さな魚の揚げ物のような見た目となった。
お味は、山菜の天ぷらのようであった。ちょっと苦味があってホクホクしている。大人向けの味だと思う。
食べられなかった思い出の味は「ほろ苦」であった。
結構好きな味だったので、また食べたい。次回までにアーティチョーク用のラジオペンチと軍手を用意しようと思う。