暗号と化したメモ
今年の初夏ごろから、ときどき思いつく面白いフレーズをいちいちメモして保存するようにしてみた。
自転車を漕いでいる時に神託が降りてきがちなので、自転車のハンドルにスマホのステーをつけた。ついでに地図を見ることもできる。便利。
ひとつひとつ、メモを取るごとに、このフレーズを元に記事を書くことができるなあとホクホクしていた。
秋も深まって、ある程度ストックが貯まってきた。しかし滅多なことでは記事の形にならない。どうしたことか。
メモを後日読んだときに、それを記述したときのディティールが思い出せないのだ。文として膨らませようにも、どういう経緯でこのフレーズが生まれたのか記憶がない。
というわけで、格言めいた、しかし何のご利益があるのかよくわからない文が並ぶこととなっている。
多分、何かを見聞きしたり、体験した時のインパクトから、そのフレーズは生まれる。あるいはそういう体験をしてから、意味づけをしようとしばらく脳裡で計算しつづけ、ある時いきなり出力される。
私はその時点でかなり要約し、抽象化もしてしまうようだ。
メモとしては、言い切られて短文のすっきりしたものが淡々と箇条書きにされていく。出力された瞬間の心情としても、すっきりまとまった!とカタルシスさえ感じてしまう。
しかし、雑多なものが削ぎ落とされてしまうから、直接体験のフレッシュさがどこかに行ってしまう。
抽象度が上がるから、広く他の人にも当てはまりそうな文にもなるが、自分の具体的な体験からは離れてしまっているのだ。
思い浮かんだ面白いフレーズをメモする、だけでは私にとってネタ帳としては不十分なのだ。
つまり、赤信号で止まるたびにメモる。その後数時間のうちに、もう少し長い文章になるまでかさ増しする必要がある。邪魔なものをあえていろいろつけておかないと、意味のあるものとして解凍できなくなってしまうのだ。
やってみて、失敗してからでないと、うまいことできるようにならない。
私は途方も無いロスの上に成り立っている。でも、自分の中で完結している分には、まあいいか。