私の「学びスタイル」
みなさん、おはようございます!
突然ですが、今日は私の学びのスタイルについてお話したいと思います。
それは、言うなれば「鍋の具材となり切る」ことです。
少し突拍子もない話に聞こえるかもしれませんね。実際、ちょっと煮詰まってはいるのですが。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
放り込まれる
子供の頃の学びは、まるで訳も分からず鍋に放り込まれるようなものだったと思います。自分はどんな具材なのかはもちろん、入るのはどんな鍋なのか、どんな具材と一緒に煮込まれるのか、知る由もありません。逃げ出すことも許されず、ただただ戸惑いながら、だし汁と他の具材とに揉まれるしかありません。
価値観のプール
ここで言う「鍋」とは、「価値観のプール」のようなものです。文化と言い換えても良いかもしれません。
子供たちは、「自分の身の回り」という小さな鍋から、地理、歴史、化学、数学、国語といった、様々な価値観のプールへと次々と放り込まれます。それぞれの鍋で異なる熱さ、異なる味付けを経験することで、多様な価値観を吸収していくのです。
自分で飛び込む
基本的な味が染み込んだ頃、私たちは大人になります。今の私は、様々な鍋で煮込まれ、自分なりの味がついた状態と言えるでしょう。
大人になってからの学びは、自ら入りたい鍋を選び、具材となって飛び込むようなものです。しっかり必要性を感じ、目的意識を持って鍋に入ります。頃合いを見計らって火が通るように、そして、しっかりと味が染み込むように、能動的に学ぶことができるようになっています。
学びの旅は続く
しかし、大人になってからも、予期せぬ状況に置かれ、訳も分からぬまま新たな鍋に放り込まれることがあります。望まずに、混沌とした状況や苦境に立たされることも、また、自分を変えようと、あえて見知らぬ鍋に飛び込んでみようということもあるでしょう。
それでも、知ること、考えることを止めずに、煮込まれることを恐れなければ、きっと自分なりの味を見つけ、美味しくなることができるはずです。
こんなふうに、鍋の具材となり、様々な価値観を吸収していく。これが、私の学びのスタイルです。
今は、入るならおでん鍋がいいです。なかんずく、大根になりたい。