わたしの幸せは子どもたちの幸せの上に成り立っているという話。
「まずはママであるあなたが幸せになりましょう」
と、よく耳にする。
言いたいことはわかる。
ママが笑顔でいれば、子も笑顔となる。
その理論も理解している。
でも、この1年ほどで実感した。
わたしには、それがめちゃくちゃ難しい。
ある日、長男が完全不登校になり、
様々な「当たり前」と向き合うこととなった。
それについては長男に感謝している。
その中の一つ「わたしの幸せとは」と長い時間をかけて睨み合った結果、
「時間をどのように使うか」にかかっていると思った。
家族で過ごす時間。
一人で過ごす時間。
この二つの時間がバランスよく取れていれば幸せっぽい。
そのほかの時間は、さほど重要ではない。
家族で過ごす時間は、夫の単身赴任をやめ、
わたしと子どもたちが赴任先に引越してきたことによって
確保されるようになった。4人でいるととにかく楽しい。
問題は、一人で過ごす時間。
さっき書いたように我が家の長男は、他県に引っ越してきたことによって
完全不登校になってしまった。
まだ小学校低学年なので、一人で長時間の留守番はさせられない。
となると、日中は二人で過ごすのでひとり時間はない。
誰かが家にいる時間はひとり時間とは言いづらい。
別々のことをしていても、誰かが起きている状態で
一緒の空間にいる時間は本当のひとり時間ではない。
と、わたしは定義している。
しかも、不登校の子をもつ親は意外と忙しい。
となると、夜にみんな寝静まった後やっとひとり時間が確保される。
でも、それも毎日ではない。
全然毎日なんかじゃない。
たまに、子どもたちが早く寝てくれて、しかも自分も寝落ちしなくて、
夫も寝てくれてる時なので奇跡に近い。
その奇跡のひとり時間を確保できたときは、嬉しさのあまりついつい夜更かししてしまう。
すると、次の日は眠い。
わたしの場合、「寝不足」は「幸せ」に一番遠い。
たっぷりあったはずの「ひとり時間」が貴重となってしまった。
完全にわたしの幸せの時間バランスは崩れている。
何かを妥協しないといけない。
結局自分は何を妥協するか知っている。
でもその時点で幸せってなんだっけ?と時々なるし、
「自分を大切に!」なんて薄っぺらい言葉じゃ何も解決しない。
自分を大切にしようにも手段がないように思うから。
手段を教えてくれるほどそれらは甘くない。
そうなると、大抵の親はこう思うんじゃないかな。
「子どもが笑ってるならいっか」
それの何が悪い。