Virtual俳句週刊誌『歌想句感』Vol.4 木・金曜号「名句を読む① 〜返り花・花びら〜」
コンコンちゃ〜!
俳句系千年狐Vtuberきつネつきです(🤘🏻・ω・)🤘🏻
Virtual俳句週刊誌『歌想句感』 木・金曜号は、俳句にまつわる内容ということで、今回は名句鑑賞をば。
1.人の世に花を絶やさず返り花 ―諷詠型
まずはこちらの句。俳人・鷹羽狩行(たかは しゅぎょう)の句です。本名は髙橋行雄(たかはし ゆきお)。たかはしゆきお→たかはしゅぎょう、です。
季語は返り花(かえりばな)で、初冬の季語。桜の狂い咲きのこと。
寒くなり始めた初冬の頃、ふとまた暖かさが戻って来る日がある。そこで春になったと勘違いした桜が、花を咲かせてしまうわけです。その自然の神秘を、作者は「人の世の中から花という存在をなくさないようにするために、桜は狂い咲きをするのかもしれない」と詠んだのです。もちろん、そんなわけはない。桜にそんな自我はないし、人間のことなんてこれっぽっちも考えてはいない。でももしかすると、本当はそうなのかもしれない。そうなのかもしれないと思うのが俳人の視点であり、そうなのかもしれないと思わせるのが、この句が名句たる所以なのでしょう。
どちらかと言うと詩的要素が強い句です。ありえないことや、ファンタジー要素のある事柄を、主観をもって断定する・言い切ることで、詩の力を生み出す作り方。俳人・高浜虚子の言葉を借りるならば、「諷詠型(ふうえいがた)」と呼べるかもしれません。
高浜虚子は、人も含めた自然を詠むことを「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」と呼んだ。
初心者のうちに手を出すと、独り善がりの表現になってしまうため、まず失敗します。まさに玄人の技。じっくり味わうところから慣れていきましょう。
2.花びらを追ふ花びらを追ふ花びら ―写生型
次はこの一句。プレバト!!の俳句コーナーでおなじみ、俳人・夏井いつきの句です。
季語は花びらで、晩春の季語。詩歌の世界で花は桜のことで、花びらは桜の花びらを指します。
桜の花びらが舞っている。花びらを追いかけるように、また花びらが来て、その花びらを追いかけるように、また花びらが……。と、無限に続く光景を切り取った一句。美しい。
お気付きでしょうか?この句、「花びら」と「追ふ」という二つの単語だけを、助詞「を」で繋いで作られている。使われる単語が少なければ少ないほど、句の情報=光景は少なくなります。それなのに、次から次へと流れ舞い散っていく桜の花びらの、何とも美しい風情ある光景が、ありありと想像できませんか?十七音だから出来ないこと、十七音だから出来ること。そのバランスを知り尽くしているからこそ出来る技でしょう。
どちらかと言うと、こちらは映像描写的な句です。目で見たままの光景を、そのありのままを詠むことで、そこに余白や連想を呼び起こし、詠んである光景以上の深い味わいを詩として生み出す作り方。これもまた、俳人・高浜虚子の言葉を借りるならば、「写生型(しゃせいがた)」と呼べるかもしれません。
高浜虚子は、ありのままの光景を詠むことを「客観写生(きゃっかんしゃせい)」と呼んだ。
初心者のうちはまずはここから。でもこの句のようにわずかな情報で確かな描写をするのは至難の業。俳句という十七音しかない小さな器に、どれだけの言葉を盛り付けるのが適切なのか、それを見極められる練習をしましょう。
※きつネつきが提唱する「1句2コマ限界論」については、また後日……。
◆きつネつき 今週の一句
切り株の日に当たるなり山桜
きつネつき
以上、桜にまつわる俳句の鑑賞でした🌸
今週はここまで!次回もお楽しみに!
最後までお読み頂き、ありがとうございましたm(_ _)m
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