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自分のことを天才といえなくなった36歳がアニメ スラムダンクを全話見終えて感じたこと

スラムダンクの主人公 桜木花道のように自分のことを天才だと信じて疑わない時期が俺にもあった。でもいつしかそういった気持ちは薄らぎ、劇中の花道の素っ頓狂な物言いに恥ずかしさを感じる側になってしまっていた。それはいつからだ? そんな自分に恥ずかしくなってしまった。


なぜ今アニメ スラムダンクを全話視聴したのか

そう、映画"THE FIRST SLAM DUNK"を見たからに他ならない。大学時代に一度だけ原作漫画を読んだ。スラムダンクはそれっきり。そんな知識でもTHE FIRST SLAM DUNKは心にグッときたしもっと深く知りたいと漫画原作にもう一度手をつけようと思ってたところNetflixでアニメ版の配信があることを知り軽い気持ちで視聴を開始した。全100話あるなんて知らなかったよ……。
簡単なストーリーラインは頭に入っていたがディティールの部分は漫画版のことすっかり忘れてしまっていたので新鮮な気持ちでBGVとして作業の片手間で見てた。有名なネットスラングもそうだし展開が熱く作業の片手間に見させてくれないぐらいにめっちゃ面白い。途中あまりに長いもんだから流行りの倍速で見てやろうなんて考えたけどそんなことをしたくないぐらいに試合シーンなんかは手に汗握る面白さであった。

1993年10月16日 - 1996年3月23日に放映

https://ja.wikipedia.org/wiki/SLAM_DUNK

20年以上前の作品を見て心震えてることに驚きだよ。作品内の時代設定が古臭かろうとまったくそれらがストレスにならない。これこそ時代を超えて愛される作品なのだろう。バスケットのルールがいまとは大きく変わっているみたいだがバスケの知識が全くないので気にならない。
アニメシリーズを見終わったらロングラン中のTHE FIRST SLAM DUNKをもう一度映画館に観に行こう。ただそれだけで見続けた。だからこそこんなにもアニメシリーズ完走で心揺さぶられるとは思わなかった。

部活動はサッカー部。Bチーム万年補欠の応援団長。

子供の頃、平均より少し背が高かったので叔父さんにバスケをせぇとめっちゃ勧められてた記憶がある。(けどその背の高さは成長期なってもあまり伸びることもなく平均ぐらいの背の高さになったのであった残念)

高校時代はサッカー部

ちょうど子供の頃にサッカーのJリーグが発足されたこともあり、小学校時代は少年団でサッカーをしていた。その流れで高校でもサッカー部に入部し汗水垂らした3年間を過ごした。
進学した高校のサッカー部が県内でも優秀な成績を残すほうで同期先輩後輩たちは当たり前に中学時代はサッカー部って連中がほとんどだし中学時代に名前が有名だったやつも多かったんだろう。そんな中で中学時代にサッカー部に所属していなかったのは俺ぐらい。ボールを上手く扱えないほぼ素人からのスタートに圧倒的差を感じていた。(中学の部活動にサッカーがなかったから陸上をしてた)
三年間頑張ればどうにかなるなんて幻想はなく、3年間Bチーム補欠で最後のIHは応援声出し担当だった。
その頃にスラムダンクに出会っていたらもしかしたら何か変わったかもしれないなんて思ったりもする。IH出場の目標やスポーツ自体の楽しさ、努力の仕方などその当時は全くと言っていいほど持っていなかった。よくまぁ3年間続いたかと思う。何かに負けたくない、その一心だけで三年間を過ごしきた、どうかしてる笑
幸いサッカーを嫌いになることはなかった。いまでもサッカーを見るのは好きだしそこからサッカーについて何かを学んでいる(何に使うんだって話だけど)。36年の人生でいろんな知識を得て何かで一番になりたいという気持ちを知りガムシャラに頑張ることの意味のなさに気づき技術の向上を楽しめるそんな余裕ができてるのかと思う。ボールを買いたいなって思うぐらいにはボール蹴りたいしね。サッカーだろうがバスケだろうが野球だろうが、チームプレイが苦手でボールと友達になれなかったので何やっても結果は同じだったんじゃないかとも思うけども。(じゃあなんで中学時代の陸上を続けなかったのかっていう話。不思議じゃ)

スラムダンクの作中のキャラクターたちに憧れる

スラムダンクに憧れを抱くのはこのせいだろうと考える。仲間と切磋琢磨し努力をしてそれが成長とともに自分の力になり、チームの力になる。これは当時の自分にできなかったことだから。赤木キャプテン、流川、安西先生。そんな出会いが俺にもあれば何か変わっていただろうか。努力の仕方、全国大会という目標。当時の自分にそれを伝えてくれていた人たちもいただろうが響かなかった。あまりに自分が下手すぎてそれどころじゃなかったのか。花道みたいに類い稀ない身体能力と野生的スポーツの勘は持ち合わせていなかったからね。あまりの下手さに部活動三年間に手を差し伸べてくれる人はいなかったのかもしれないな。そんな悲しい記憶を思い出してしまった。サッカーに関しては自分のことを天才だとかレギュラーを獲得できるぐらいに上手になるなんて考えることもできなかった。花道のようなビックマウスはできないほどに下手だった。

大学時代は映画を勉強した。自分は天才だと思った。

そんなこんなで大学は映画を学ぶために地元の芸術系の大学に進学をした。昔から好きだった創作を自分の人生で頑張りたいと思えたからだ。
そこで初めて花道のような根拠のない自信を得た。
「俺は映画を作れる。天才だから」
高校時代と打って変わって、根拠のない自信を手に大学4年間を過ごした。

自分は天才と言い張っても物語の主人公になれたわけではない

才能はない。映像を作るセンスもない。ただ闇雲に"なにか"を作ることだけはできた。花道の安西先生のように導いてくれる賢者に出会うことはなく、自分は天才だという無駄な自信だけを手に大学時代はいろんなことに挑戦した。無根拠になにかができると思っていた。
大きな失敗はなかったが、なにか満足のいくものはできなかった。自分が書いた映画脚本はセンスがないとコケにされ、映像作品も結局これといって完成させることができず、挙句卒業制作の映像作品は未完成で提出。努力はできてもそれを実にすることはできなかったのだった。

なにかできるかもしれないという自信の虚しさ

思い返せば自分は花道のような成長はなかったんだと思い知らされる。誰かに期待されて、誰かと共に力をつけていくようなサクセスストーリー。スラムダンクは自分が思い描いていた青春がこれでもかと濃密に入っていた。
漫画では感じられなかったアニメだからこその音として自分の中に入ってくる感覚。人間模様がすんなり入ってくる感じ。
自分だけが持っているなにかできるかもしれないという自信を誰かと共有することができていたなら。サークルや部活動のような集まりに所属していたら。そんなことを考えるけどたぶん絶対にそんなことができなかったと思う。ただただ寂しい一匹狼だったから。そうやって大人になってしまった。

天才バスケットマン桜木花道

桜木花道の無根拠の自信

運動能力と類い稀ない背幅を持ち合わせたバスケット素人の桜木花道。作品初めから自分自身を天才であると自称しその言葉を現実に変えるような行動の数々を見せる。
ここで重要なのがあくまで自分だけは自分自身を天才だと信じて疑わないということ。現実世界ではなかなかできることではない。けどフィクションというほどではない。アニメではセリフとして「俺は天才ですから」と語りかけてくる。漫画では感じ得ないリアリティ。
桜木花道を天才だと信じるものもいるし、否定するものもいる。けれど否定していた人たちがことごとく花道が天才であるかもしれないと信じていく様は痛快である。

周りの言葉に耳を貸す必要はない

周りが花道を天才じゃないと笑い、花道がそれを自覚して天才ではないかもしれないと言い出したらその時点で彼が天才ではなくなってしまう。周りがどう言おうと自分が天才だと信じて言い続けたからこそ彼は天才であり、周りを変えていく力があった。
自分を突き通すほどの根拠のない自信。それこそ彼が持ついちばんの才能でなのだ。現実世界でそれを持つことは難しくなってしまった。最初に対峙した赤木キャプテン。永遠のライバル流川。陵南・翔陽・海南大附属と勝てるかもしれないけど今の実力だと負けるという絶妙なパワーバランスの階段を登っていくこの過程を再現することは難しい。2020年代だとRPGの最初の小ボスのようなライバルたちを倒すより先に原作ではバスケット雑誌の中だけでラスボスだった山王の面々や全国の強豪が身近な存在として立ちはだかる。いわゆる本当の意味での天才たちが世界中にいることをSNSを通じて簡単に知ってしまう。彼らには太刀打ちできないと感じてしまう実力者たちを前に無根拠の自信は儚く脆い。世界を知ることなく、ゆっくりと自分の実力と向き合い高めていけたからこそ大きな挫折もなくあの最終回まで来れたのではないか。目の前の倒せるかもしれない強敵だけに目を向けれたからこそそれを倒すための実力をつける特訓ができたのではないか。そんなことを考える。
(それでも花道なら目の前の倒すべき敵だけを見続けて努力を続けるのだろうと思ってしまうが)

いつから自分を天才と言えなくなったのだろうか

大学卒業し、フリーで映像制作を始めたときも自分のことを天才だとまだ本気で思っていた。教えられたこと以上に自分で良いと思える映像を作ることができていたからだ。(ボロクソに言われたのは脚本のことで映像を作るのは割とできていた)
でもその活動に明確な答えはない。社会に出るとIH出場、MVPの獲得などといった1位を決める戦いがあるわけではないのだ。(自主映画や賞レースなどに参加してたら別だけど) あくまでもクライアントワークでクライアントが満足していればそれでいいのだ。天才だろうとなんだろうと映像ができあがれば及第点。そんな現実が続いたとき、自分が天才である必要を見出せなくなり、そうして面白みのない平凡な大人に成り下がってしまう。
スラムダンクを見ていて桜木花道の言動に共感ではなく羞恥心を感じてしまった自分がいることに気づき、初めて自分が天才ではない方にいってしまったんだと気づいた。

自称天才

自分で自分のことを持ち上げるも卑下するのもその人の自由だ。他人の顔色を窺っていたら花道のような言動はできない。我慢越しの桜木花道に恥ずかしさを感じてしまうような、そんな大人になってしまっていた事実には気づきたくはなかった。いつからか他人の顔色を窺っていたんだ。
自分が天才かはさておき、自分自身を天才と表現するかどうかは自分次第。誰にも咎められることはない。失敗しようがどうなろうがボロボロになるまで自称天才を言い続けたっていい。それで誰も迷惑はかけていないのだから。

俺は天才

魔法の言葉をもう一度思い出せ。できないことに挑戦できる力強い言葉を使え。そしてもう一度動き始めろ。
そう、お前は天才なんだから。
高校入学から20年が経っていた。あの頃の自分が持っていた世間知らずな自信はもうどこにもない。あまりにも多くを知りすぎてしまった。それでも、だからこそ、このタイミングでもう一度あの頃を思い出して、花道のような途方もない挑戦の一歩を踏み出すべきだ。
自分が天才でないと知ったけれど、まだ天才を証明するはできる、はずだ。まだやれてないことはたくさんある。当時できなかったこともたくさんある。やらない言い訳を並べるほど天才は暇ではない。そう思えるほどにスラムダンクアニメシリーズ完走は自分にとって大きな力となった。
伸び代を期待できる年齢ではないがもう一度自分のことを天才だと言い切る。天才だからできる。レギュラー獲得も全国大会出場も、スラムダンクだってできるはずだ。
ひとつひとつしっかりとボールをゴールに叩き込む、そうやって2万本シュートをIHまでに終わらせる必要がある。小さなことから、基礎を大事に。まずは自分ができることを増やす。自分にいま足りないことを初心に帰って一から潰すそんな夏休みにしたい。

"THE FIRST SLAM DUNK"は8月で終映

8月末まで公開中の"THE FIRST SLAM DUNK"をもう一度見る。このお盆に原作漫画を一気読みしてからでも遅くないな! 若い時に持っていた勢いを思い出させてくれたことに感謝したい。アニメを見終えた勢いだけでこれを書き切った。我ながらバカである。違う、俺は天才だからこれを書き切っちゃった。
ここまで読んでくれてありがとう。俺と直接会う人はスラムダンクの話をさせてくれ。

202307 HKにて

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