失業 まさか! 失業しました。 幸い、1年後に、仕事につけましたが。 長い1年でした。 コンピュータの仕事に戻れないのではないか、と、不安な日々でした。 それまで、大型コンピュータの仕事をしていたので、Unixを知りたいと思いました。 2万円のNECのパソコン?「サーバーかもしれない」とにかくめちゃくちゃ安かったので購入して、LinuxのOSをインストールしました。 Webのフレームワークをいくつか入れて、簡単なWebシステムを作ってみました。 入力した文字を表示するよ
ブラインドタッチを強制された。 事務所の片隅にFM8があった。今は見なくなった、8ビットマイコン。まだパソコンと言う言葉は一般的でなかった。大き目のキーボードの中にコンピュータが組み込まれていた。白黒のブラウン管のディスプレイがつながっていた。外部記憶装置はバブルメモリ。小さいカセットみたいなもの。その中に、キーボード練習のプログラムがあった。 プログラム名が紙に書いて貼ってある。そのプログラム名を入力して起動するのだが、何回もエラーになる。とてもイライラする。 ACT
プログラマーの頭 初めて経験した頭の使い方。 研修では、10問のフローチャートをただひたすら書きまくった。 プリント用紙の裏側を使った。 当時のプリンタは、両脇に連続の穴が開いているプリント用紙を歯車で巻き上げる。事務所には不要なプリント用紙が大量にあった。 コンパイルリストだった。あとで説明したいと思う。 空っぽな頭で考えるのはつらかった。半日も考えていると、糸口が少し見え始める。すると、少しフローチャートを書き始められる。 ああだこうだと書いているうちに
割り切れないとはどう言うことか? 3➗2=1.5 違う。整数で割り切るんだ。 答えは、1...1。つまり、1余り1だ。 小学校の算数で習った。 割り切れるか、割り切れないかは、どうやって判断すればいいのか? これも、算数で習っている。 検算だ。 割る数と答えの数を掛ける。 この場合は、余りを考えないで、2x1=2。 この答えの2と割られる数と比べる。 2と3で等しくない。つまり、割り切れなかった。等しい場合は、割り切れたことになる。 この考えを使ったプログラムを
フローチャートは、とにかく描いてみることだ。白い紙に鉛筆で描く。消しゴムは使わない。試行錯誤がそのまま描かれる。 1時間もすると、何かをつかみ始める。考える方向が決まってくる。 おっ。できたなー! いくつかの数字などを当てはめてトーレスする。 この場合がダメだな。また、ぐるぐると考えてみる。 フローチャートを描くことは、頭の筋肉体操だと感じた。
整数の1から1000を足す identification division. program-id. prog. environment division. data division. working-storage section. 01 wk-area. 03 wk-gokei pic 9(09). 03 wk-tasu pic 9(09). 03 wk-edit pic zzz,zzz,zz9. procedure divi
10 gokei = 0 20 for tasu = 1 to 1000 step 1 30 gokei = gokei + tasu 40 next tasu 50 print gokei 60 end わたしが、2番目くらいに作ったプログラムです。1番目は、Goto文があって、もっと原始的でした。 for next 文が凄いと思いました。 あまり見慣れないプログラム言語だと思います。わたしが使っていた8ビットのパソコンに標準装備されていたBASIC と言うも
フローチャートをご存知だろうか。 私は知らなかった。 整数の1から1000を足した結果を求めよ。 これをフローチャートで描けと言う。ちんぷんかんぷん。どう考えれば良いのか分からない。ない頭で考えていると、頭がパンクするように感じ出す。 事前にコンピュータの入門書を渡されていた。 その中に、似たような問題の記述があったので、それを真似して描いた。 それを社長に見せると、 「あっているようだけど、本当にわかって描いているか?じゃあ、偶数だけを足すように変更してみろ」
掃除夫からプログラマーになった。 コンピュータの専門学校が注目されていた。 だから、仕事を辞めて、専門学校に行こうと思った。 しかし、未経験でも雇ってくれる会社を紹介されて、そこに入社した。 そこでの1カ月、小さい事務所で研修を受けた。私以外の3名は、専門学校の新卒だった。 1カ月で、私は、プログラマーの基礎を身に付けたと思う。 専門学校の新卒者は、落ちこぼれだった。優秀な人は、もっと大手の会社に行っていた。その小さい会社は、落ちこぼれを拾ってやってゆけるのか?
たまたまYouTubeで「暗殺」の本についての談議を見た。安倍晋三暗殺の本らしい。あくまで小説だが、現実を少し変えている程度の内容らしい。 Kindleにあったので、買ってしまい、2日で読んでしまった。いつも、買った本はゆっくり楽しむのだが。 談議では、2回目読むのが楽しいと言っていた。小説で2回読む事はあまりなかったので、なんでかな、と思った。現実と付き合わせるのがワクワクするらしい。 今、2回目を読んでいる。
森の木ちゅうおう、つまり、京橋図書館に行ってみた。最初は建物に興味があった。中に入ってみると、窓際に閲覧席と言うか、学習コーナーがあった。そこでノート整理と図書館の本を読んでみた。なんか心地良い。 リラックス出来るんだな。 本を読む速度は遅い。昔、速読術をやってみたがダメだった。遅読は私の劣等感になっていた。ある本を読んだ。遅読、大いに結構。色々考えながら読むのは良い事だと。 なんかスッキリした。自分のペースで読書を続けようと思った。 今の読書は小説が中心だ。色々勉強し
5分程歩いたら、右足の膝辺りが張ってきて、痛み出した。脊柱管狭窄症。道路脇に低いブロック塀があったので、そこに座る。目を閉じてゆっくり呼吸を10回。痛みが少し消えて行く気がする。 ガガガ。線路のポイントが切り替わった。下り電車が来るのだろう。 腰を下ろして耳を傾けると、今まで聞いたことがない音が聞こえてくる。風の音、鳥の声、木の葉が舞う音。 誰かに声をかけられるのは嫌なので、スマホを見ている。最初は時計を見ていた。1分経つと、だいぶ痛みが消えるので、歩き出した。最近はKind
わたしは、子供の時から無口でした。 何か話す必要があるときは、勇気が必要でした。 今でも覚えています。 本ははほとんど読みませんでしたが、学習雑誌に載っていたお化けのQ太郎が好きでした。 漫画の単行本がある事を知り、また、小遣いで買える値段でした。 ある日曜日、500円札を握りしめて、本屋さんに行きました。 随分と迷いましたが、欲しい一冊を見つけました。 でも、その後の行動が出来ません。 その単行本を持って、おじさんの所に行けばいいのですが、なかなか、出来ません。
学生時代、少しだけクラシックギターに夢中になったぐらいで、勉強の方はさっぱりでした。 試験前は、さすがに勉強しました。そんな時、ちょっと面白いな、と感じた事もありました。 その感じを大切に持っていたら、少しは学問をしたかもしれません。 4年になりました。就職活動が嫌でした。 何を考えたのか、何を目指したのか、その頃、ビルの清掃のアルバイトをしていました。 その会社に誘われるままに就職してしまいました。 汗を流して働く事に、少し満足感がありました。 しかし、それも、
高校生の時、ビデオゲームが流行り始めました。 科学系のクラブ員は、雑誌に載っていた回路図をもとに、ビデオゲームを作っていました。残念なことに、裏表を逆にしてしまい、完成には至りませんでした。 「プログラム」という言葉を聞いたのも、その頃でした。 運動会のプログラムと何が違うのか、分かりませんでした。 一年浪人して、大学に入りました。経済学部。特にやりたい事はありませんでした。 情報処理概論という講座を受けました。それなりにノートを整理していたので、Aをとりました。
ポップアップを作って、その上にテキストを入れようとしたら、テキストが消えてしまった。 何回やっても同じ。 イライラする。 テキストを入れる位置をずらしたら、無事、テキストが収まった。 ポップアップは、明細画面から表示するようにしていた。明細画面を表示すると、さっき消えてしまったテキストが、明細画面にあった。 どういう事だ? 明細画面の上にポップアップを作ったから、テキストがどっちに定義されたのか判断できず、明細画面に行ってしまったようだ。 とてもわかりづらい。