喪失と未完了なこと

人に無意識な枷をかけているものは「人生で未完了なこと」で、それを完了させていくことで人は少しずつ自由になっていくことができるらしい。

先週、コーチとの会話で2つの問いを投げられた。
「過去に、気持ちや感謝や承認を正直に伝えられなかった人はいますか?」
「1分間差し上げます。私をその方だと思ってお話ししてください。その方とはもう会えません。人生で話せる最後の機会です。」

なぜか、高校生の時の友だちのことを思い出した。友だちといっても正確には姉の親友で同級生ではない。姉が帰宅するまでの間、時々一緒にゲームをしたり、持ってきてくれた漫画を読んだりしていた。彼女は20歳の誕生日に自宅の浴室で自殺をした。
ドアの隙間をガムテープで目張りをして、入浴剤と漂白剤を混ぜて硫化水素を発生させたらしい。

16歳だった当時の僕と彼女の最後の会話は「どうぶつの森の部屋センスなさすぎ」「うっせえ」だった。たしかその3日後に彼女は亡くなった。
彼女についての記憶は、棺桶の窓越しの少し紫がかった顔色の寝姿を見たのが最後だった。

この出来事に後悔はない、自分に何かができたなんて思わない。かすれた記憶の残滓を引っ張り出して感傷に浸りたいわけでもないはず。
ただ、人生で話せる最後の機会。その言葉を聞いた瞬間にこのことを思い出した。
ああ、そっか、分かった、みんなこれを喪失って呼んでるのか。

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