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私が人生を通して求めてきたもの

―中尾
今日は何のお話をしましょうか?

―澁澤
じゃあ中尾さんの昔ばなしなど、いかがでしょう?

―中尾
いつ頃の昔ですか?

―澁澤
中尾さんのような人格が、子供の頃からどういう経験をするとできてきたのかというのは興味ありますね。

―中尾
そうですか…そんなこと皆さん興味あるかしら…(笑)
子供の頃…と言っても自分の意思を持ち始めた頃でしょうかね?

―澁澤
そうですね。

―中尾
というと、小学生の後半くらいでしょうか?
ラジオがとっても好きでした。
なので、小学生からラジオを聴いていました。

―澁澤
テレビよりもラジオだったのですか?

―中尾
テレビはあんまり見せてもらえなかったですね。

―澁澤
そうですね。そういう家庭がありましたね。

―中尾
テレビを見るのは9時までと決まっていたので、9時以降はラジオでした。その頃は深夜放送が盛んでしたよね。

―澁澤
そうでしたね。私もまさにラジオ世代でした。中学、高校と深夜放送で育った世代です。

―中尾
なんでラジオが好きだったのかなあと考えてみると、話している人たちが、好きなこと、例えば音楽にしろ、映画にしろ、好きなことを自分の言葉で話しているのがかっこよかったですね。

―澁澤
その当時のパーソナリティにはずいぶん影響を受けて、感想のお手紙を書いたりしましたね。

―中尾
そうそうそうそう!
なので、大人になったら、そんな風に意思をもって、とか、その時はそんなに難しいことは考えていませんけど、自分でこんな風に話せる人になりたいなあと思っていました。

―澁澤
そのためには、学校に行ってしっかりと勉強をしようとは思わなかったんですか?

―中尾
全然思わなかったですね(笑)。そのためには放送局に行かなきゃと思いました。

―澁澤
その発想が、私と中尾さんの根本的な違いですし、普通の人と中尾さんとの違いですねえ。放送局に行ったら何かあるとは、普通の人は思いませんよ。

―中尾
そうなんですね。だけど、行かなきゃ!としか思わないわけです。それで、公開録音をしているデパートのワンフロアにある放送局のスタジオに通ったんです。授業をさぼって。

―澁澤
そうしてだんだん、人生の時間の焦点が学校からラジオに移っていくわけですね?

―中尾
そうですね。ラジオとかライブハウスとか。
高校生の時は早めに授業をぬけて、ライブハウスに行っていました。

―澁澤
その当時、簡単に言うと不良ですね。

―中尾
ところが、不良じゃないんですよ。不良って悪い子のイメージでしょ?悪くはないんですよ、全然。だから、不良のレッテルは貼られていないんです。

―澁澤
なんか、良い御身分ですねえ(笑)

―中尾
ほんとうに(笑)
その時は当時桑名正博さんというカッコイイアーティストがいて、彼のお母さんや妹の晴子さんがやっている「ゴーストタウン」っていうライブハウスがあって、そこに行ったり、またある時は、ヤマハに行って「ポピュラーソングコンテスト」=「ポプコン」という音楽イベントのお手伝いに行ったりしていました。

―澁澤
やはり現場に行かないとその臨場感は味わえないと思っていたのでしょうかね?

―中尾
そうですね。それと、その現場をつくっている人に会いたかったです。

―澁澤
現場の持っている力ってありますね。
私はね、現場の持っている力を感じたのは、後楽園球場の外野席なんです。そこで、観客とプレーヤーが一緒になる感覚というのが好きで、現場に惹かれていくのですが、それが、中尾さんの場合はライブハウスであり、放送局だったんですね?

―中尾
そうですね。思い起こせば、小学校の2年生の時に初めて舞台を見たのですが、それが美空ひばりでした。母と二人で行ったコマ劇場のステージを夏休みの絵日記で描いていました。そういう意味では小学生の頃からライブでしたね。演劇を見て、歌舞伎を見て、父は南海球場に南海ホークスの試合を観に連れて行ってくれて、高校時代は甲子園に友達の高校野球の応援に行って、すべてライブでした。

―澁澤
ああ、そういう意味では、生活の中にライブ感が普通に入ってきていたのですね。それは、当時の大阪の周りの人たちもそうでしたか?

それともお宅の家庭だけですか?

―中尾
わかりませんけど、吉本新喜劇を見に行く人もたくさんいましたし、角座とか、中座とか、朝日座とか、とにかく芝居小屋のようなものがたくさんありましたね。

―澁澤
東京との違いかもしれませんね。東京はお芝居を見に行くと言ったら、盛装をして、一年に一回か二回で、わざわざその前に、ばあさんとかお袋とかはお召し物をそろえて、とっても肩ひじ張っていくところで、子供なんて気楽に行けるところではありませんでした。

―中尾
だけど、私は南海球場に野球を見に行くのに一番いいワンピースを着ていきましたよ(笑)
あまり考えたことはなかったですけど、みんなライブが好きだったのかもしれませんね。

―澁澤
良いですね。そういうのが今あると良いですね。だけど、若い人達がライブハウスだとか、コンサートに行く一つの思いというのは、そういうことかもしれません。そういうのがとても豊かな暮らしに思えます。
それから放送界に入って行って、ラジオ局に入ったり、イベント会社に勤めたり、芸能界に少し関わったりということですよね?

―中尾
そうなんです。でもそれ全部、私的には普通の就職というか皆さんが次のステップに行かれるのと変わらなくて、何を一番大事にしていたかというと、「縁」だなと思います。

―澁澤
少なくとも、月収いくら稼がなきゃいけないとか、いくら稼がないと食べていけないではなかったということだけは事実ですね。

―中尾
そうなんです。それを基準にして仕事を決めたことは一回もなくて、福利厚生なんて考えたことないです。

―澁澤
自分のやりたいことだけをやっているのは、それは違うかなと思って、だけどそれを一つ縛る部分が今おっしゃった「縁」だとか、人間関係は大切にしなきゃいけないとか、そういうことですか?

―中尾
そうですね。
最初に就職したのは、やしきたかじんさんの事務所なのですが、私が彼を好きだったのは、人を大事にしたところと思です。
一人一人、ちゃんと人を見て、それぞれの良いところを活かす。それはとても素敵でしたね。

―澁澤
そういうことができる人だったということですね。
中尾さんのおっしゃったことと逆かなと思って、思いついたんですけど、今大学の授業をやっていて、コロナですからみんなマスクを着けているのですが、ほとんどの学生がマスクを外したくないというのです。

―中尾
なんででしょう?

―澁澤
顔も見せたくないと言います。
外の世界との接点というか関係性を持つことが、自分が生きている実感だと中尾さんは思われているのに、今の子供たちは外とのつながりを持ちたくない。自分一人の中でそっとしておいてほしい。自分の範囲内だけで完結をさせたいと思っている子が結構な比率でいるのです。それだけこもっていても、ある程度生きていけるように、社会も豊かになり、家庭も子供が少なくなったので、子供優先にしてもらって…ということもあるのかもしれませんが、それを見ていて良いとも悪いとも私自身言えないのですよ。だけど、こっちの人生の方が豊かになれるんじゃないかな、ということは自分が経験しているし、中尾さんの人生を見ていても思えるのだけども、じゃあ一人だけで生きていて、閉じこもって、引きこもっている人生の方が幸せなんだと言われたら、それは違うよとも言えない。だけど引きこもって、つらい思いをしている子もたくさんいる。人間って何なんでしょうね。

―中尾
でも「人間」って人の間と書きますよね。
人は絶対に一人では生きられないですよ。
それと、たぶん自分探しとか言いますけど、自分の中をどれだけ探したって出てこないですよね。
自分が発言したことを発言した相手に対して、相手がそれをどう思ったかとか、どんな顔をしたかとか、あれ私、言うこと間違えたかな…ってことを、相手を見て判断しますよね。
やはり、相手がいないと自分のことはわからないと思います。

―澁澤
キャッチボールと同じですよね。
一つだけ言えるのは、引きこもっている子供がね、自分らしく生きたいために、外界と関係性を持たない訳だけど、自分らしく生きるというのは、他人がいて初めて自分らしく、が出てくるということですよね。

―中尾
そう思います。
外に出た方が良いのは確かです。外に出たら、人と会って、人と話して、人とつながらないと、幸せになれないと思います。
愛をもらわなきゃいけないし、あげなきゃいけないし。

―澁澤
今はそれがとても分かりにくいというか、言葉で「愛」といった瞬間に伝わらなくなってしまうような世の中になりつつあるのが、とても不安ですね。

―中尾
だからこそ、人は目を合わせるべきだし、会話するべきです。

―澁澤
それを、人生を通して、中尾さんは学んできたということですね?

―中尾
そうですね。それができている人が好きでした。
そういう人を自分が求めたから、出会えたのだと思います。
私が澁澤さんと出会ったのも不思議じゃないですか。
全然違う社会で、全然違うことに価値観をもって生きていたのに、あるところで縁があって出会って、一致するわけですよね。
それも、探して探して初めて出会うわけですから、やはり、自分が求めるのが最初じゃないかと思います。

―澁澤
なるほど。

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