「風景から見えるもの」
この記事は2022年10月10日にyoutubeキツネラジオにて放送したものです。
中尾:
ようやく秋になった感じがして、ほっとしますね。
渋沢:
急に季節が変わりましたね。だけど、今年の秋は短い気がします。
中尾:
そうですね。段々秋が短くなって本州も北海道みたいになってきましたね。さて、20年くらい前でしょうか…初めて渋沢さんに岡山に連れて行っていただいたときのことなんですけど、車でどこかの村に入った時に、渋沢さんが、「この風景を見て何を感じる?」っておっしゃったんですよ。
その時の私には、寂しくて、人も歩いていなくて、田んぼもやってるんだかやってないんだかわからなくて、「いや、別に」って言ったと思うんです。そしたら渋沢さんが「除草剤を使っていて、人手で草刈りもできていないから、ここはお年寄りばっかりなんだなって僕は思うんですよ」っておっしゃったの。それがね、私にとってはすごい発見だったんです。
渋沢:
稲作の場合ですけど、皆さんは田植えをして、稲を刈り取るというところしか知らない方が多いと思いますけど、実際稲作をやると、傾斜地であればあるほど、ものすごい広さの畔があるんですよ。その畔が水田の水を止めているわけです。ですから畔の草刈りというのは丁寧にやっていかないと、草がぼうぼうに繁ると、その分だけ根っこが下にありますから、その根っこがどんどん畔を崩していくのです。草を刈ってやると、植物は地上部と地下部はだいたい同じ形になるので、根っこは横に張る。横に張ると根っこと根っこが絡み合って畔を押さえてくれる。ですから稲作作業のほとんどは畔の草刈り。畔の草刈りということは、日陰はどこにもないわけです。田んぼですから。しかも傾斜になっている。そこを延々と刈らなきゃいけない。それは大変な重労働なんですよ。でもどうしてもそれに耐えられなくなると、除草剤をまいてしまうのです。除草剤をまいてしまうと草は枯れてしまう。確かに草の根っこで畔が壊れることはないのですが、今度は草がないことによって大雨とかでこわれてしまう。だけど、今年の草だけでも抑えたいと思うってことは明らかに労働力が不足している。ということは若い人達が出て行ってしまって年寄りだけが残されて、しかも独居の年寄りが多くなるとそういう風景がどうしても出てきてしまうんですね。
中尾:
なるほど。私はそれ以来、地方に行くと、単純なので田んぼを覚えたら田んぼばっかり見るようになったんです。そうして見てみると、田んぼってみんな違うんだということがわかりました。
渋沢:
そうですね。一回稲作や畑作をやってみると、自分がどのくらいの労働をすることで、どこが大変かということがわかってくるので、景色の見え方が変わってくるということがありますよね。
中尾:
そうですね。やったことありませんからね。幸せな人生だなと思いました。
澁澤:
だけど、それが幸せということはその分誰かがやってくれているわけですから、その誰かがいなくなったときには幸せは足元から崩れて来ますからね。幸せは不安でもありますね。
中尾:
私の祖母の実家が長野県の姥捨て山なんです。
麻績(おみ)という村があって、そこを一度見てみたいと思って行ってみたら、そこは段々畑なんです。
渋沢:
「田毎の月」で有名なところですね。
中尾:
そうです、そうです!松尾芭蕉さんや多くの歌人や画家にも愛されたところです。
渋沢:
お月さんが小さい棚田の一枚一枚全部に映っているところですね。
中尾:
素敵な呼び方ですよね~。でも、貧しいといったら失礼なんですけど、大変なところだなと思いました。棚田をつくるということはそういうことですよね。
渋沢:
そういうことですね。耕地がありませんから、傾斜地につくります。稲は水を張った田んぼにできるので、どうしても傾斜地を人間の手で棚田にする。人間の尽力でできる、石を積んだりとか、先ほど言った畔を固めたりしながら、小さい田んぼをたくさんたくさんうろこのようにつくっていくのです。
中尾:
そうなんです。四角じゃなくて丸いのがいっぱいあって、みんな大きさが違って、本当にうろこみたいなんです。それが田んぼを見て初めてキレイだと思った風景なんです。
そこに月が映ることで、こんな美しい呼び方ができて、昔の人はすごいなあと感激しました。
渋沢:
全部手作業ですからね。しかも、昔は土地所有制度が今とは違いますから、そんなに苦労して傾斜地で作ってもほとんどそのお米はつくった人の口には入らないわけです。年貢として取り上げられて、そこに生きている人たちはほとんど裏作と言って、稲を刈り取った後に撒く麦で食べていたという話もよく聞きますね。
中尾:
だから姥捨て山なんですよね。
60才くらいで山に入るのでしたよね。
渋沢:
田んぼを新たに一つ作らない限り、そこで一人生きていけないわけですから、こどもが一人生まれれば、一人年寄りは山に入らなければいけないということですね。
中尾:
凄いシステムですね。
渋沢:
凄いシステムですね~。
集落をつなぐということは、そこに生きている人間の生活をつなぐということですから、それはほかの生物も同じようにやっているわけですよね。遺伝子が発現して、個体ができて、生殖まで終わってしまったら、それ以降は生物という種から見れば意味のない存在になっていきますから、意味のない存在が、自然が食わしてくれる分量を超えてしまったら、結局それは間引くなり、あるいは自分で淘汰していくということをせざるを得なかったという、まあ地球というものの上で生きている生き物の宿命でしょうね。ただ赤ちゃんの間引きだとか、老人たちの姥捨てだとか、そこまで行かないにしても、「いのち」というものが何なのか、今はペットの犬一匹殺しても犯罪になりますから、そんな時代に命というものをもう一回定義しなおすなり、考え方を変えなきゃいけなくなりますね。
中尾:
そうですね。なんかこう、最近は命を軽んじているわけじゃないんでしょうけど、希薄っていうのが一番近いかなって思います。
渋沢:
生きていることが希薄なのかもしれませんね。
中尾:
生きている実感がないのかも。
渋沢:
希薄ということは孤独になっていきますからね。決して幸せではないですね。
中尾:
でもね、家族がいても孤独だと思う人もいますからね。なんでしょうね。関わるということはどういうことなんでしょうね。
渋沢:
家族があって、昔はその向こうに田んぼがあって、畑があって、地域があって森があって、その全部と自分の命が繋がっているということで安心感を得ていたけど、繋がりがぶちぶちと切れていくと、結局自分個人は何となく生きられているし、繋がりというのは希薄になっていきますよね。
中尾:
そうすると、風景ってつながりを感じるものですよね。
渋沢:
人間が欲したというか、つながっていたいと思ったその結果が風景ですね。
中尾:
もしかしたら、棚田がきれいだと思ったのも、それをつくった人達の風景が想像できるときれいだと思えるのかもしれません。
渋沢:
そうですね。きれいだけではないという部分も見えるし、少なくとも作った人たちの時間もともなって景色を見ると、単なる旅行でガイドブックの中にあるきれいな景色をみてインスタでとって満足するという世界ではなくなるかもしれませんね。
中尾:
そんな気がします。
渋沢:
人間がつくってきた風景なんですよ。
人間が必要だと思うものをつくってきたのです。
それをみて、昔の人はこういうことを必要だと思ってきたんだなと思う。今の私たちにはそれが単なる景色になってしまった。
だけど、これから未来に向かって生きようとするときに、どの風景、あるいはどの繋がり、どの生き方を残さなければいけないのかなと考えるきっかけになると、電車の窓から見える風景も違って見えるのかもしれませんね。
中尾:
この町の良いところはどこですか?とか、どこが好きですか?とか地方に行くとよく聞かれますけど、それって過去からのつながりを感じるか感じないか、想像できるかどうかで変わりますね。
渋沢:
前にもここで話したかもしれませんけど、民俗学者の宮本常一さんが「自然は寂しい。だけど人の手が加わるとあたたかくなる。その温かなものを探して歩いてみよう」という言葉を残されています。
だけど普通は、「自然は美しい。人の手が加わると汚くなる」と私たちは思っている。それは目の前の自然だけを見ていますから。人とのつながりだとか世代とのつながりとかが見えてくると自然は温かいものに見えてきます。残したいのは温かさですよね。切り取った絵葉書の風景ではなくて。
中尾:
そうですね。つながりを感じられるものを未来につないでいけると美しく残るのでしょうね。
渋沢:
そうそう。風景だけを切り取ってそれを残そうとすると、大変ですよね。自然も変化しますし、人間の価値観も変化する。だけど、繋がりをどうやってつないでいこうかというと、違う景観や違う街並みの残し方というのがあるのかもしれませんね。