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「SDGsの一歩目」

 SDGsのお話は最終回。澁澤さんが考えるSDGs達成の問題点と私たちができることとは…

中尾「3回にわたってSDGsについてお話を伺ってきましたが、地球上にある様々な国は、どの国も同じではなくて、それぞれの幸せってみんな違いますよね。それぞれの幸せを想像する力って大事ですよね。」 

 澁澤「相手を思いやる気持ちとか想像する力は大事。だけど、その前に、幸せって何だろうって意外と考えないですよね。物質的に豊かになることとか便利になることが幸せだと、なんとなく私たちは思っているけど、じゃあ本当に自分の幸せって何だろうと考えないで生きていることが多いので、ちょうどいま立ち止まって考える、まさにSDGsに合っていると思います。」 

 中尾「実は私たちってもう何でも持っていますよね。足りないものはないはずなのに、もっともっとという気持ちがあって、十分この携帯でことは足りるのに、もっと早く、もっと容量の多いものをという、一つ一つの欲がSDGsへの道から遠ざかっていくことになっていますか?」 

 澁澤「どこが塩梅なのかというのは個人個人みんな違う。全部正解が違う。例えば今日本の農村って過疎化が進んでいます。そのおじいさん、おばあさんたちと話してみると、 『今何が困っているの?』と聞くと、『機械を新しくしなくちゃ』という。『だけど、機械を新しくするのはお金がかかるじゃない』というと、『だけど、来年にはこれまで登っていた田んぼの畔がもうしんどくなるかもしれない。こどもたちは都会に出ていってしまって、ばあさんと二人でやっていくには、もっと便利な機械をいれないと農業が続けられないんじゃないか』と、不安から『もっと』が出てくる。 機械を入れたら、借金が大変だということもわかるし、環境に悪い農業ということもみんなわかっている。だけど機械化にのっかってきちゃって、どこかで止まらなければいけなかったけど、もう今さら止められない。気が付いたときには年を取って体が動かなくなって、子供がいないなら機械にやってもらうしかない。簡単に調和点ってなかなか決められないけど、これはやはり真剣に考えるときなのだと思います。」

 中尾「私がNPOで苦労していた時に、田舎のおじさんが、『こっちにおいで。こっちに来たら、田んぼもあるし、野菜もたくさん採れるし、お金もかからないから、全部貸してあげるから、こっちで住んでNPOやればよいよ』と言ってくれたのです。ものすごくありがたいお話ですよね。だけど、たぶん私できないなと思ったんですよね。 じゃあ私どうするって考えたら、やっぱり都会で稼いでお金払って作ってもらおうかと。 情けないけど現実の自分を見てしまうのですよ。」 

 澁澤「何ができないと思いますか?」 

 中尾「どうせなら機械もやめて、自分の手で田んぼを作りたいと思うので、腰を曲げて、泥の中に入って…と考えると、この年で力のいることできないなという恐怖…? やったことがないからでしょうか?」

 澁澤「どこかで、まあ、楽しようや。都会にいればコンビニで買えるし。まっその分稼げば良いんじゃない?と思うのでは?私も同じように考えます。というのはね、中尾さんが思っているより農業って簡単なのです。農作物を作ってそれをお金に変えて生活を成り立たせようとすると、品質がそろってちゃんとしたものを作らなければいけないからとても大変ですけど、自分の家族が食べるコメと野菜、それくらいを自分で作ろうということであれば素人さんでもできなくはないのですよ。 

 中尾「そうですか。それがもしもできるならば物々交換的に足りないものを自分がつくったものと交換して生きていくことは可能かもしれません。」 

 澁澤「で、今、それが分かって、田舎に行こうと思いますか?」 

 中尾「自分で食べるものをつくることが今からでも可能ならば、田舎に行くことや、そのコミュニティの中で生きていくこと自体は、私はそんなに苦労はしないと思います。ただ、夫が一緒に行くかというと難しいと思います。夫婦で一緒に生きていくということが、今度はそれを阻む原因になってきますね。」 

 澁澤「これを説得して、できないことではないかもしれないけど、面倒だからやめとくかってことですよね。」 

 中尾「それなら今の環境でもう少し頑張って、生きられるようにしようかということを選んでしまうのでしょうね。でもそれが、誰かの害になったり、何かを犠牲にするのであれば、その原因を探しだしてそれはやめましょうということくらいかな。都会でできることは。」 

 澁澤「だけど、全部考えたときに、誰も傷つけないで自分一人で生きますということが、今の社会で可能でしょうか? 食べ物をスーパーで買おうとしたときに、その向こう側にどんなことが起きているかということをいちいち全部知識として知り、イメージをもって、向こうの人に寄り添えるような消費活動を作れるかどうかですね。 誰も置き去りにしないという言葉は、簡単なようでとても難しいです。」 

 中尾「SDGsは、誰も置き去りにしないというというのが約束される社会になればよいということが一番の目的ですか?」

 澁澤「SDGsは、日本では17の目標がやたらいろんなところで出てきて、皆さんもそれがSDGsだと思っているのですが、SDGsのアジェンダの文章を読んでみると、17の目標が出てくるのは最後なのです。実は重要なことが2つ序文に書かれています。 一つは、今までの経済中心だった社会を、「経済」と「社会」と「環境」のバランスをとった調和のとれた社会にする。経済中心である現在の社会を、そこまで変革するのだといっています。 もう一つは、その過程において、「誰も置き去りにしない」でその変革を成し遂げるのだと、その二つが重要だと書かれています。 「誰も置き去りにしない」というのは、環境問題をこれから考えていくときの重要なテーマであるといえます。 だけど、「誰も置き去りにしない」社会となると、教育の在り方も変わるし、そもそも教育の在り方が変わるということを親御さんたちは許さないと思います。 うちの子はもっと良い大学に入れるように教育してください、もっと人より才能が抜きんでるように教育をしてくださいと。」 

 中尾「ということは、親御さんの価値観を変えなければいけないということですね?」 

 澁澤「競争社会を生き抜くという価値観を変えないと、誰も置き去りにしないということは実現不可能だと思います。 競争社会はなぜできたかというと、今の資本主義だとか、今の世界全体の世の中の仕組みが競争を原則とした社会になっている。それから変えなければいけない。確かに、気持ちとしては誰も置き去りにしない社会と言えるのですが、今の社会の相当大きな部分を変えていかないと、経済と環境と社会が調和して、なおかつ誰も置き去りにしない社会、しかも2030年まで。それまでにできないと、人類は破滅へ向かう後戻りできない地点を超えてしまうと、その序文にはっきりと書かれています。それくらい地球環境は悪化していて、関係するあらゆる問題が山のようにある。一個一個つぶしていくのはとても大変なことで、もっと根本的なものの考え方を変えないとならない時代に私たちは立っています。」 

 中尾「私たちはどこに向かうか、何をすればよいかを考えたときに、一日ひとつでも何か意識しよう…ということなのでしょうか。私は、日本はとても恵まれた幸せな国だと思っています。その意識が根本的にないと、何も始まらないなと思うんですけど。」 

 澁澤「日常を一つずつ積み重ねていくことしか道はないことは事実です。それだけでなく、政府が決めてくれないから、会社が、先生が決めてくれないから、私たちは何をやったらよいのかわかりません…という、その部分を変えないと、また、自分は悪くなくて、社会とか政治とかそっちが悪いと丸投げするような今の現象が続いてしまう。 一人一人が自分の基準をもって、一人一人が考えながら、自分の人生をどう実現していくかを、地球の基準と合わせながら考えて行動できるような『人』をつくっていくことが大事です。そして、皆の一歩一歩からしか始まらないことも事実。 ちょっと面倒でも、ちょっと煩わしくても、明日のために、あるいは自分の次の世代のために、あるいはヒトのために一日半歩でも良いから踏み出そう!を、積み重ねるしか方法はないと思います。 

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